5.《ネタバレ》 色々な意味で映像化が難しいであろう京極シリーズの世界観を、何とか二時間枠の中で構築しようとする工夫の後は伺える。
とは言うものの、製作者に対して「よくがんばったね」と言ってあげるには、ほど遠い出来。京極ワールドの構築にとことん気を使っていないのは、宮迫博之や阿部寛という、知名度や話題性優先による明らかなミスキャストから窺える。
原田知世も女優としての成長が見られず、演技のレベルは低い。台本に書かれた時代がかった「お嬢様言葉」を噛まずにしゃべることに精一杯といった印象で、「演技のための演技」から抜け出せていない。
また小説ならあまり不自然に感じられない長々とした「中禅寺の薀蓄」も、こと現実の役者がベラベラと喋くっていると、さすがに違和感がある。何より説明的なセリフが聞いていて恥ずかしい(「我々は目から入ってきた電気信号を脳が変換した視覚映像を見ているにすぎないのだよ」みたいな)。
もともと原作は本格系ではありながらアンチミステリ的な傾向が強いので、基本的にこのシリーズを見る場合は、「妖怪=人間の業」が齎した事件の構造と、中禅寺による「憑き物落とし」の概念に共感できないと、禁じ手に近い謎解きが単なる「肩透かし」のように思えてしまうはず。
そんな原作を二時間枠に押し込んでしまったので、ミステリ慣れしていない人が見ると、色々な意味で分かりにくい映画になってしまったように思う。
妙な視覚効果の使い方もセンスが悪く、重厚な作品世界が安っぽくなっている。
しかしシリーズの中では比較的分かりやすく、舞台の設営も難しくなさそうな「姑獲鳥」がこれでは、「魍魎」や「絡新婦」や「狂骨」の映画化は難しそうだ。邦画ではこの辺が限界かな~。