3.意外性ある展開を狙ってはいるものの、サスペンス映画にはよくある流れなので、最後まで見たところで観客にとっては大したサプライズがないという点が苦しかったです。デビッド・エアーは才能ある脚本家兼監督だとは思うのですが、この人は態度の悪い公務員が悪態つきながら暴れ回る映画を撮っていればいいのであって、騙し騙されの駆け引きを描かせると、途端に手際の悪さが露呈します。ヤクザよりもタチの悪そうな麻薬特捜班の登場場面や、ホラー映画顔負けの残酷描写にはこの監督ならではの個性を感じられたものの、全体としては不手際の方が目立っていました。
また、監督の引き出しのなさと同様に、シュワの演技の幅の狭さも、作品に大きな支障をもたらしています。この人の俳優としてのキャリアは1985年の『コマンドー』で確立されており、基本的に同作のジョン・マトリックス大佐以外の役柄を演じることはできません。にも関わらず、シュワ氏は無謀にも本作で新境地開拓に挑んでおり、そして見事に失敗しています。同業者であるスタローンが、90年代の多くの失敗作から自己の演技の幅を認識し、近年ではセルフパロディに徹することでファンを喜ばせているのとは対照的に、シュワ氏は自己の限界をいまだに認識できていないようです。物語の進行とともに主人公の本性が暴かれていくということが作品の要だったにも関わらず、その主人公を演じるのが一種類の演技しかできないシュワ氏だったということは、観客にとっては悪夢としか言いようがありませんでした。