1.《ネタバレ》 この映画の監督エヴァ・イオネスコ自身にまつわる自伝的映画には違いないが、この作品には母親への怨嗟と母親は真に自分を愛して呉れていたのか、単なる搾取の対象でしかなかったのかという、相反する母親への複雑な想いが強く滲み出たものになっている。母親からこれは芸術であり、マレーネ・ディートリッヒが醸したデカダンスの美学を新たに写真表現するというような話で言い含められ、児童ポルノ紛いの猥褻写真の被写体にされていた十歳前後の頃の記憶に基いている。
本棚にある「芸術新潮」1994年2月号に、当時のエヴァ・イオネスコを撮った写真が表紙として採用されている。モチーフはアダムとイヴなのか、思春期の男女が全裸で手を繋ぎ挑発的な視線をレンズに投げかけている。このキッチュな写真を撮ったのもおそらく母親なのだろう。無垢だった少女の自分を操り、母親からいかがわしい写真のモデルとして使役されたことへの思い、ひいては児童虐待の被害者としての側面。いいように搾取されてきたとの怨嗟。それでも母親への想いは複雑に交差し一元的に収斂できかねている様子。
ただこの映画から感じ取れるのは、寧ろそうした負の側面より、他の児童より抜きん出て美しく、嫉妬からいじめに遭ったという記憶。特異な世界の大人たちの視線を浴び、世間から耳目を集めた特別な存在であったのだという自負の感情も隠しきれない。稀なる美貌のアナマリア・ヴァルトロメイに自分の少女時代を演じさせるという過剰な美化、ある種の倒錯した自己愛が透けて見える。この映画を通して母親の自己欲求の犠牲になった、自分の過去を振り返るという体裁を取りながらも、再びその忌まわしい筈の世界を再構築し蘇らせる事が、母親と同じ穴の狢に成ってしまっているという矛盾と名声への打算が露呈