1.「亡き友へ」
と、死んでいったクルーたちを悼み、カーク艦長が献杯をする。
このラストシーンのシークエンスは、一体どの段階でシナリオに組み込まれていたのだろうか。
劇中、襲撃されたエンタープライズ号の多くのクルーたちが命を落としてしまう展開はあるので、最初から用意されていたシーンなのかもしれないが、このシーンの持つ「意味」が悲運にも深まってしまったことに、映画ファンとして泣くしかなかった。
往年のTVシリーズからスポックを演じ続けたレナード・ニモイの死、そして、不慮の自動車事故で今作の撮影直後に亡くなってしまったチェコフ役のアントン・イェルチンの死に、惜別の思いばかりが募った。
二人の俳優の死が重なってしまったことも多分に影響しているのかもしれないが、リブート版第三弾となる今作には、全編通して「死」そのものと、それに伴うそこはかとない“別れ”の悲しさが漂っている。
「宇宙」というあまりに壮大で果てしない空間の中で突如として生じる空虚感と望郷の念も、冒頭のカーク艦長の心情描写に端を発して随所に表されており、表面的な大エンターテイメントのすぐ裏に垣間見える「宇宙」そのものの“深淵”が興味深い仕上がりだった。
僕自身は、この新しいリブート版シリーズからのファンで、残念ながらTVシリーズは観られていないのだが、その宇宙に対する深淵なる哲学性こそが、「スター・トレック」の本質的な魅力なのだろうと思える。
そして、いつの日か“人類”が宇宙で生命を紡ぎ蔓延ることに想像をめぐらし、そうなった時に、我々人類が辿り着く「境地」までもを創造したことが、このシリーズの凄さなのだろう。
J・J・エイブラムスから引き継ぎ新監督を務めたジャスティン・リンは、想定以上にそつなくシリーズ3作目を纏め上げたと思う。
「ワイルド・スピード」シリーズで磨き抜かれたチェイスシーンの安定感は言わずもがなの出来栄え。
また、アジア系キャラの“ヒカル・スールー”の見せ場を増やし、彼のキャラクターにゲイという要素を加味したことなどは、新鮮だったし、そのキャラクター像の広げ方は、長きに渡り“多様性”をテーマとして謳ってきた同シリーズにとって相応しいものだったと思う。
英語を理解しない日本人として少々残念だったのは、今作から脚本にも参加しているサイモン・ペッグが繰り広げているのであろう台詞回しの妙が、字幕では今ひとつ伝わらなかったことだ。きっと随所で意味深で愉快な言い回しがあったに違いない。
喪失し、破壊され、それでもエンタープライズ号は旅を続ける。
引き続き、最新作を心待ちにはしたい。
しかしながら、もうそこにはチェコフ君がいないことを思うと、やはり寂しくて仕方がない。