1.《ネタバレ》 最初の方の、邸宅を背景にしたシーンで、邸宅の煙突から「煙が出ている」ことに、意味も無く嬉しくなっちゃいました。いや、本当に意味は無いんですけど、その演出のひと手間が嬉しいというか。
南北戦争のころのアメリカ南部が舞台。主人公の女性は、見た目はどう見ても白人なんですが、実は黒人の血を引いている。と聞くと、フォークナーの小説「八月の光」に登場するジョー・クリスマスを思い出したりもしますが、こういうのが作品の深刻なテーマとなるあたりが、南部という場所の難しさ、でしょうか。しかしでは、北部なら問題にはならないのか? 日本では?
主人公の女性の場合は、父の死をきっかけに、突然、奴隷として売られてしまう悲劇。この映画、「八月の光」のような難解さは無く、あくまでストレートに差別の問題を突きつけてきますが、こうやって「見た目は白人なのに奴隷にされることの理不尽さ」という形で提示されると、じゃあ見た目が黒人なら奴隷でOKなのかよ、とも言いたくなっちゃいます。
しかし、言いたくなっちゃうとは言え、これが、歴史、というヤツでもあります。主人公は、見るからに胡散臭い大富豪(と思うのは私だけ?)に買われていくのですが、その大富豪を演じるのが、見るからに胡散臭いクラーク・ゲーブル(と思うのは私だけ?ではないはず)。この大富豪もまた、人種差別には反対の立場をとっているようでいながら、暗い過去、彼なりの歴史を抱えている訳で。
しかし自身の過去を語る彼は、一見、悔悟に苛まれているようには見えず、むしろ堂々としているように見えます。おいおい、本当に反省しているのか? 表情からは見えないけれど、歩き回る彼の落ち着かなさが、やはり一種の葛藤を表現しているのかも。
クラーク・ゲーブルの内面を直接的に描くことを避ける代わりに、シドニー・ポワチエが黒人の立場からの視点を作品に加えているのが、この作品のユニークなところ。ただ、悔悟を表情に出さないどころかむしろ自信満々に見えてしまうクラーク・ゲーブルの余裕の表情の背景には、また別の彼の過去が・・・というあたり、ポワチエの押しの弱さ(品がある、とも言えるけど)と相俟って、今の視点で見るとちょっとヌルいと言うか、踏み込みが浅く感じる部分もあるのですが、今の観点を過去の作品に押し付けても仕方がない。逆に言えばそれも含めた、作品のユニークさ、ですかね。