3.《ネタバレ》 クライマックス、宇宙の果てで邂逅した機械生命体と人間が眩い光の中で「結合」する。
比喩でも揶揄でもなく、それは機械と人間との“セックス”だ。
字面だけを捉えれば、とても突飛でぶっとんだ表現だけれども、これこそがこのSF映画史に残るエンターテイメントシリーズの揺るぎない真髄であろうと思える。
必ずしも見栄えのいい娯楽性には流れず、宇宙そのものの姿と、その神秘を追い求める人間の姿を描き出していったからこそ、このシリーズは世界中のファンに深く愛され続けているのだろう。
J・J・エイブラムスによるリブート版で初めて「スター・トレック」の世界観に触れ、熱狂し、今回ようやく1979年の劇場版を観ることができた。
1966年〜1969年のテレビシリーズを経てからの劇場版なので、本当はそのテレビシリーズも観ることがベストなのだろうけれど、さすがに3シーズン79話もの映像作品を観る余裕はなかった。
主要キャラクター同士の関係性など、テレビシリーズを観ていればもっと楽しめたのだろうけれど……。
そういった世界観への馴染み難さも手伝って、特に序盤は非常にかったるい。
全体的にテンポも悪く、ストーリーテリングも上手いとは言い難いので、正直なところ映画の8割方はかったるいと言わざるを得なかった。
明確な徒労感を感じつつ映画は終盤に差し掛かる。
「退屈」の一言での酷評を心に決めかけたラスト20分、映画は突如として宇宙の神秘性に突き進む。
その展開自体はあまりに唐突で、やはり上手い映画だとは言い難いが、ラストの顛末はSFならではの衝撃性に溢れていて、それだけで印象的だった。
“創造主”の追求という宗教的な哲学性も加味しつつ、新しい進化の誕生を描いた顛末そのものは、SF映画史に残り得るものだったと思う。
この後の映画シリーズ、そして前段のテレビシリーズもやっぱり観たくなる。