9.《ネタバレ》 物質転送機という発想はいかにも荒唐無稽である。音や映像が遠くに送れるなら物体も可能というつもりだろうが、“原子が空中を光速?移動”するというなら電話やテレビなどとは原理が根本的に違うだろうし、それよりなら「どこでもドア」方式の方がまだしも現実的に思われる。ただしわが国の「電送人間」(1960)をはじめ、その後の各種特撮の小道具として使われるようになったことからすれば、その独創性だけは評価しなければならない(映画でなく原作の方だが)。USSエンタープライズの転送装置も、このような事故を繰り返しながら改良されていったと考えると恐ろしい。
それで内容に関しては、昔の映画らしくきっちりまとまった印象を受ける。基本的には屋内中心の静的な環境の中で話が展開し、リメイク版のバイオホラーと違うのはもちろん、昔の特撮映画のイメージからもかけ離れている。そのため初見時(10数年前)にはとにかく地味な映画としか思えなかったが、改めて見ればそれなりに見所はあると感じられる。
劇中で一応の問題提起と思われたのは、人間とそれ以外とをどこで区別するのかということである。当初、妻は「理性」「知性」「心」を重視しており、またこういったものが失われかけたことで夫も死を決意していたことから、精神面が重要だということは夫婦間でも一致していたらしい。しかし一方、妻が内心で葛藤しながらも冷徹な表情で夫の殺害に協力し、事件後「あれは死んでよかったんです(I'm glad the thing is dead.)」とまで言っていたのは、要は夫の顔を見てしまった嫌悪感の方が主な動機ではないか。自分としても、夫がハエ面のままで妻にキスをしようとした場面には非常な違和感を覚え、たとえ人間の心があったにしてもハエ男が人間の女性を愛することは許容できなかった。劇中人物は妻を含めてみな理性的な人々だったが、それでも心が大事などというのは綺麗事という冷たい現実を淡々と突きつけているようでもあり、この点はリメイク版との大きな違いに思われた。
ところで劇中では、兄も実は弟の妻に心惹かれていたが2人の意向を尊重する形で譲り、その後はずっと独身で通してきたらしいことが示されていた。事件の結果、弟は失われたがその名誉は守ったまま、愛する女性とその息子と3人の安定的で穏やかな生活が実現していたようで、これは素直にハッピーエンドとして受け取れる。続編などなければよかったのだが。