11.ジャッキー・チェンという映画スターの本質は、“アクション”ではなく、それを超越した“パフォーマンス”なのだと思った。
言うなれば、彼が長い映画人生の中で辿り着いた頂点は、アクションスターのそれではなく、“パフォーマンススター”とでも言うべき存在の極みだったのだと思えた。
ブルース・リーのスタントとしてキャリアをスタートさせたジャッキーが、彼亡き後の世界的カンフースターの座を引き継いだ事は言うまでもない。
しかし、ジャッキー・チェンの核心にあるものは、決してブルース・リーのような格闘の達人としての才ではない。
チャーリー・チャップリンやバスター・キートンを彷彿とさせる“可笑しみ”に溢れた表現力。それこそが、ジャッキー・チェンのスター性そのものだと思う。
振り返ってみれば、ジャッキー映画特有のドタバタとした走り方や、その場の物を使ったユニークなアクションシーンの数々は、まさにチャップリンやキートンのパフォーマンスに重なり、それこそがジャッキー映画が世界中の人々に愛された理由だと分かる。
そして、この“ハリウッド映画”は、そういうジャッキー・チェンの本質を引き出し、とても分かりやすくとても巧く映し出す事に成功している。
ジャッキー・チェンのハリウッド進出作品に苦言を呈するファンは多いだろうけれど、今作に限っては、彼の映画人として在り方を正しく表している以上、無下に非難する事はできないのではないかと思うし、何よりも“きっちり面白い”。
随所で“活動写真”創成期の名シーンの数々にオマージュを捧げたシーンが組み込まれている。ジーン・ケリーの「雨に唄えば」までもをアクションに盛り込んだシーンには、映画ファンとして思わず拍手を送りたくなった。
またシリーズ前作では、舞台設定上致し方ないことではあったが、格闘シーンの相手役にアメリカ人スタントを使わざる得なかったため、アクションのスピード感が全体的に無かった。
しかし今作ではストーリーを生かし、中国人スタントを相手に本場仕込みのジャッキーアクションが復活していたと思う。
更には、悪玉にドニー・イェンを迎え入れ、彼による本物のカンフーが作品の質を高めている。
全体的に思わずほくそ笑んでしまう小気味よさと映画愛に溢れた作品だと思う。
ラストの“ユニオン・ジャック下り”なんて色んな意味で「見事」としか言えない。