8.《ネタバレ》 観る前はバカにしていたが、実際観てみると、予想外にもかなり泣かされた映画だった。
冒頭、教頭が言う。鶏じゃダメなんですか?
うん。じつにまともな意見だ。
観始めてすぐから主人公の先生が、やたら罪作りなやつに見えて来る。
例えば、台風の日にPちゃんの世話をしにくる子供たち。名前を付けた上、こんなに世話してたら、もはや絶対に喰ったりなんかできないだろうなあ。
小学六年生の議論が続く。これは学園紛争の映画だ。
Pちゃんがいなくなる。見つけた時には捕獲のひと等によって連れ去られようとしていた。いちご白書が脳裏をよぎる。
足にしがみついて阻止しようとする男の子たち。その中にはPちゃんを食べようと言い、ついさっきまでPちゃんがいなくなってよかったと言っていた男の子も交じっていた。うを!
ラストにもう一発衝撃的な場面が用意されていた。
食肉センターのひとたちにとっては、子供たちが愛したブタではなく、たんにこれから肉として加工される豚。
衝撃的だった。
せめて肉屋(クラスの中に肉屋の息子がいる)の親爺くらいの人物であってほしかった。
ブタは生き残るもんだと勝手に思い込んでいた。この場面に出くわすまで、どこで反転するんだろうと思っていたくらいだから、この場面には俺自身がうちのめされた。
そして荷台にブタの載ったトラックを追って走る子供たち。うーむ。さよなら、僕の友達。
なるほど、これはいい映画だった。
いい映画に対して評論的なことを言うのは差し控えたいが、撮り方のうまさなのか、26人もいる子供の区別がついたことは、驚嘆。
けっきょく学園紛争の闘士たちは、(ファッションだったやつ9割を除けば)この映画に登場する子供たちと同じで純粋だったのだ。
劇中で「正解はありません」などと小ぎれいなことを先生が言っているが、それはめくらましに過ぎず、正解はあらかじめ決まっていた。
「食べるってことは命を受け継ぐってことなんだ」などといった舐めたセリフ等によって、「命あるものを頂くという意味」を問う「重いテーマ」を持った映画だと誤解した人が多いみたい。
作り手はそんなこと考えてない。元からニュースになったりドキュメンタリーになっていたらしく、おそらく便乗しただけだ。
俺は単純に、悲劇として、かなりの感情移入をもって観た(おそらく甘利花を通して)。
それは、だいたいこんな感じだ。
自分は畜産農家に生まれた。初めて自分がメインで育てた家畜。名前も付けて一所懸命育てた。喜びも悲しみも共にした。でも。
売られちゃった……。
けっきょく、そういう衝撃(純粋で小利口じゃなく初体験だったから、衝撃になった)を登場人物や舞台設定を変えて、現代風に描いた映画だった。
その意味で希望(子供にだけ許される無邪気かつ理想的な希望)を打ち砕かれる映画だったし、歴然と悲劇だった。そして悲劇であるがゆえに!
俺はこの映画をとてもいい映画だと思ったのだ。
うん。じつにいい映画だった。
(売っただけで、自分たちで食べるという当初のゴールは達成しなかったはずだ。クラスの半分が食べたくないと言っているから。つまり食肉に加工してもらって(この場合は加工賃を支払う)戻ってきたわけではない。単に売っただけ。その点において、まさに農家と同じだった。そして売り上げ金はブタの法的所有者だったはずの先生の懐に入ったはずなのだ。これは先生を批判している人の批判の内容が的外れであることを意味する)