1.南北の歴史観の相違はアメリカ社会において未だにデリケートな問題であり、本作はそんなタブーに片足を突っ込んでしまったがために、興行的にも批評的にも微妙な結果しか残せなかったようです。しかし、そんな色眼鏡をとっ払って見れば、本作は硬派な題材と娯楽性を見事に両立させた非常に完成度の高いドラマであり、オスカー監督・レッドフォードの最高傑作とも言えるレベルに達していると言えます。。。
北部人が敬愛するリンカーン大統領が南部人に殺された。人々の復讐感情を充足させるためにも早期に容疑者を処刑することが求められるのだが、問題は、犯人グループの一人が逃走中で未だ身柄を確保できていないということ。そこで政府は、その母親を首謀者の一人とみなすことで事件の幕引きを図ることにする。まぁ無茶苦茶な話なのですが、東京裁判にニュルンベルク裁判、フセイン裁判と、アメリカ合衆国は歴史上何度もこの手の茶番をやらかしており、ある一時代のお話といってタカをくくれない怖さがあります。。。
結論ありきで進められる魔女裁判に、加害者への厳罰を求める世論。必死に証言者を探して来ても、証言台に立たせる頃にはすでに政府の手が回っていて、必要な証言を引き出すことができない。主人公達は容赦なく追い詰められていきます。巨悪と戦う主人公の姿はこの手の映画の定番ですが、ここまでのプレッシャーを受ける登場人物は稀です。さらに、主人公たちは個人的なジレンマとも戦わねばなりません。エイキン弁護士はこの裁判を戦い抜くことに確かな正義を見出しているものの、自分のアイデンティティと相反する立場に立たされたことで、友人も恋人も失ってしまいます。メアリー・サラット被告は自身の潔白を主張しながらも、それを証明するためには息子の有罪を立証しなければなりません。裁判がどう転んでも大きなものを失うという、まさに絶望的な戦いなのです。。。
以上、本作は社会派ドラマとして非常に充実しているのですが、同時に娯楽への目配りも出来ています。当初は絶対に勝てないと思っていた裁判だったが、目の前の壁を一枚ずつ崩していくことで次第に形勢を逆転させていく。アクション映画さながらの展開には、最後までハラハラの連続でした。結末はわかりきっているのに、それでも目を釘付けにされてしまうのです。脚本・演出ともに、非常に充実した映画でした。