6.《ネタバレ》 初めてこの映画を観たのが約3年前。
この間に私の人生にも色々転機が訪れたのでこの作品を再レビューしてみる。
この作品にはいくつかの親子像が出てくる。不妊症の夫婦とオティーク。隣部屋の夫婦と娘。そして管理人(老婆)とキャベツ。
特出して目立つのが女性差によるエゴと残酷さと母性。
当時観ていて何もここまでオティークに固執せずとも他にもっと可愛い子供の代替になるものはあるだろうに…と思っていたが最近見返してみて考えが改まった。
長らく不妊治療を続けてきたこの夫婦、それでもより追い詰められ子供を切望していたのは妻側で夫とは切迫感の違いというか溝があるのだ。だから夫のほんの気まぐれで遊び心から差し出した切り株に妻が執着したのは、他ならぬ夫からの『贈り物』だったから。おそらくそれまで子供の代替として飼われていた猫は妻が欲したものだったのではなかろうか。妻にとってオティークは夫婦の共同作業で得た本物の子供という事になるのだろう。狂っていく妻と暴走を止められない夫の苦悩に引き込まれていく。
夫婦視点で描かれていた話の中核は後半になるにつれ少女視点にシフトしていく。
子供にオモチャを与えると親が性差をつけずとも本能として遊び方が異なってくるという。男の子は分解と破壊、女の子は大人の真似事(○○ごっこetc)を始めるそうな。この作品ではオティークと少女が『食欲』を通して大人をもて遊んでいく。
物語のラストで管理人(老婆)とキャベツ(赤子の象徴)という生命の終末と誕生を外殻化した親子像が浮き上がってくるのも印象強い。
少女の薄っぺらい懇願なぞ、人生の酸いも甘いもかみわけた老女にとってはとるに足らない深刻さだろう。
シュルレアリスムの視点で描かれる生命とは何てグロテスクなのかと魅了される。
老若問わず女性特有の残酷かつ観念主義的な一面をえぐりたてるように描いた作品は私にとっては非常に興味深く面白く感じた。ここまでひどくなくとも「あるある」と思える共感部分が多いのだ。そしてそれを描いたのが男性の監督だという事がまた素晴らしい。(20110719)