2.《ネタバレ》 小津監督と言えば、戦後、その文体において、もっとも「非ハリウッド的」と世界に認知されている巨匠であることは周知の事実でしょう。ところが、この映画でみられる、パンを注文する影絵のシーケンスや、学生が並んで腕組みをしながらグルリとおどけてみせるダンスなど、いわばパントマイム的な表現技法の数々は、まさに当時のハリウッド喜劇そのものです。当時、小津監督ほど明確にハリウッドから影響を受けた監督は他にはいないのではないでしょうか。つまり、小津監督は最もハリウッドから影響を受けた監督であるにも関わらず、最も「非ハリウッド的」な監督でもあるのです。このあたりの議論は尽きることがなく、とても興味深いものがあるのですが、ここで僕が重要だと思うのは、むしろ、戦前、戦後を通じて小津作品に共通しているもの、つまり、その一貫性を探ることにあると思うのです。本作における、一人だけ落第した学生とその横で就職難に苦しむ及第生たち。どの道困難な世相を反映したこれらのプロットは決して明るいものではありません。しかし、これらの現実をねじ曲げず、直視する眼差し。そして、最も重要なのはその現実を受け入れる「包容力」がしっかりとフィルムに刻み込まれていることです。娘の結婚や自立していく息子との別れ、それによる必然的な家族の崩壊。戦後の作品においても、一貫して描かれているのは、これらの必然的な現実を受け入れる「包容力」に他なりません。決して「悲壮感」では無いのです。文体は戦前、戦後で違えども、本作のような戦前の作品が、戦後の名作群の土台となっていることは間違いないでしょう。何事も受け入れていくという、この「包容力」は、僕の体内で優しさにもなり、癒しにもなり、勇気や活力に昇華され、大きな前進力に繋がっていきます。こうゆう映画を創作出来る小津監督は、映画のみならず、その人生を「楽しむ」達人であったろうと思います。何度でも観たくなる映画の一つです。