1.あちゃー…一人目かぁ。プレッシャーかかるなあ…ま、いいや、ウンチク的な事は他の方が書いて下さると信じて自分なりにレビュー書いてみます。んー、まず思ったのは「確かに“ベトナム戦争”は終わったけど“ベトナム”は終わってないんだな」という事。この映画の、例えば軍や政府の偉いさんのコメントや、反戦派と反・反戦派のヒステリックな衝突の場面はそのまま「華氏911」に挿入されてても違和感がない。ただこの作品が「華氏~」と大きく異なっている点は、より内省的な面も描かれてる所。これは、作家の男が女性に対して「みんなベトナムの事で盛り上がってるけどさ、例えばスーダンとかイエメンでだって酷い事が起きてるしクルド人だってガンガン殺されてんだよ!それにフランスって経済的にアメリカに依存してる所だってあるじゃん。それなのに単に“北ベトナム支持!”とか“アメリカひでー!”って叫んで正義の味方を気取るのは偽善じゃないかい?(←あくまで僕の“意訳”です)」と語るパート(アラン・レネが担当)や、「自分がベトナムに入り込むのではなく、自分の中にベトナムを引き入れるべきなのだ」とゴダールが独白する「カメラ・アイ」のシーンに象徴されていると思う。つまりこの映画は「ベトナムから遠く離れ」た場所にいる人間(作り手と観客)が、“ベトナム”を他人事として捉えるのではなく、我が事として捉えるべきなのだ、と訴えているのだと思う。例えばさあ、今だったら多くの日本人が米軍のイラク攻撃に対して反対してるけど、もし「確かに米国はベトナムや中東や、或いは南米で酷い事をしてきた。んでも日本が今それなりに繁栄している理由の何%かは、米国のそういう行為のお陰かもしれないんだよ(現に戦後日本は朝鮮戦争の特需景気で復興してるんだから)?もしこれから米国が“公正な態度”を貫いたら、日本は今より貧しくなるかもしれない。それでも米国の行為にノーと言えるのか?」というような問いかけに対して、真剣に考える事も必要なんじゃないかな。ま、事はそんな単純じゃないんだろうけど、例えば「周りの人に優しくする」とか「弱い者いじめは見過ごさない」とか「つまんない事(例:映画に対する考え方の違い)で憎しみ合ったりしない」とかいうのだって立派な“反戦運動”だと思うぞ。楽観的過ぎるかもしんないけど、やれる事をやるしかないじゃん・・・というような事を思いました、僕は。