41.《ネタバレ》 原作『身分帳』既読。
映画は実話に基づく佐木隆三氏の小説『身分帳』を原案とするが、映画版は原作と比べて違った印象を受けた。
原作は事実に基づいた淡々とした記録風のルポルタージュで、再犯率5割という数字も客観的に提示されるだけだった。
一方、映画はその現実を舞台にしながらも、概ね問題点を強調するための脚色、演出が行われている。
映画は、再出発を支援できない社会を痛烈に描く。
三上は刑務所という閉ざされた世界から一歩外に出た瞬間から、冷たい壁にぶつかる。
映画では、無理解な社会との対峙が、激しい衝動と内に秘めた儚い希望と共に描かれる。
役所広司の迫真の演技が、そんな三上の複雑な内面を余すところなく表現し、胸が痛む。
原作では数字と事実、取材に基づく冷静な記録があるだけで「こんな現実がある」という事実認識を重視している。
しかし、映画では、三上という男が社会に受け入れられず、再出発すらも許されない現実を強く押し出してくる。
映画の中で描かれる「再犯率5割」という数字は、ただ統計として受け止めるのではなく、
背負う過去と罪から逃れられない現実の重さとして映画では訴えるのだ。
社会は、一度裏社会に足を踏み入れた者を、どこまで冷たく拒絶するのか。
これが社会の仕組みとしての状況なのだ。映画はそれを三上の運命を通して突きつけてくる。
原作の静かな記述も良かったが、映画の演出には心が辛くなる。
しかし、あの演出がなければ、数字の示す本当の恐ろしさを見過ごしてしまうことになるだろう。
映画は、残酷な現実を示し「罪を犯した人が変われるのか」という問いを投げかけ、
それが口先だけの人事戯言でいかに困難なことであるかを訴える。
現実社会をかなり知る立場の私としては、
全体的に物事を強調しすぎて現実から乖離しているところも多いと感じる。
しかし、普通の人たちから見ればいつものような毎日が、弱者から見ればイバラの道に感じることを現しているのだ。
だからこそ非現実的な演出としてメッセージ性を強めエンタメ性を持たせていることを理解するべきだ。
これを事実と違うなどという批判もあるようだがそれは見当違いだ。
現実がドラマより奇異なこともあるし、そもそもドラマは非現実のものを観るものである。
『すばらしき世界』は、
社会の冷酷さに直面する現実を痛感すると同時に、社会構造の脆弱性や葛藤を映し出す鏡のような作品。
もと犯罪者の方々の再出発の難しさ。それに対して社会がどれだけ無関心か、
あるいは拒絶しているかを改めて問い直さずにはいられない。