5.《ネタバレ》 マカロニ・ウエスタンの「暁の用心棒」は、トニー・アンソニー扮する流れ者の一匹狼の"よそ者"が、アメリカからメキシコ政府へ貸付けされる金貨をめぐり、メキシコのフランク・ウォルフ扮する山賊のアギラ一味と争奪戦を展開するという内容の映画で、はっきり言って、かのマカロニ・ウエスタンの代表作「荒野の用心棒」の亜流作品です。
というのも、山賊一味が軍服を着てメキシコ軍に近づくのも、一味のボスが機関銃を乱射するのも「荒野の用心棒」そっくり。
そして、主人公の"よそ者"が、なかなか分け前をよこさないアギラに腹をたて、ネコババしようとするのは「続荒野の用心棒」のジャンゴを連想させるものの、ヒーローず女とその子供を助けるエピソードは、やはり「荒野の用心棒」にあったし、ラストで"よそ者"が、シヨット・ガン、アギラが機関銃と、武器こそ違えど、互いの愛用の武器で決着を着ける趣向も、どこからいただいたかは、もう明らかですね。
このように、この映画は物語自体が、もう亜流も亜流の域を出ないのですが、画面を観ている分には、あまり"元祖"との類似性を感じないんですね。
それはなぜかと言うと、ジャンジャジャジャーンという大音響と、その間に入るポコポコと鳴るオカリナという楽器の軽妙な音のコントラストが、妙なベネデット・ギリアの音楽が功を奏しているのと、主演のトニー・アンソニーの飄々とした、ミステリアスなキャラクターが物語に不思議と溶け込んでいたからだろうと思います。
そして、クライマックスの、"よそ者"とアギラ一味の決闘は、時にユーモラスな味を醸し出して、忘れられない印象を残します。
あちこちに散らばる子分たち。巧みに身を隠し、移動するよそ者。共に抜き足、差し足、忍び足で様子をうかがい、"よそ者"は角で出くわした一人をまずズドン。
次いで、縁の下にもぐり込み、板の隙間から銃身をソロソロ-----と突き出し、上にいる奴をズドン。ここまできたら、もう主人公がやられることはないという妙な安心感もあって、この殺しのシーンは、文句なしに楽しめます。
出窓から上半身をのぞかせた敵には、その窓のすぐ下からの一発で倒し、アギラには走らせたトロッコにしがみついて接近し、いよいよ一対一の果し合いとなるのです。
装弾から発射までというプロセスも「荒野の用心棒」と同じく、双方ガチャガチャと弾ごめ。当然、"よそ者"のショット・ガンがいち早く火を吹き、アギラはあえなく昇天。
時はあたかも、朝日が昇る"暁"で、"よそ者"は、三途の川の渡し賃として1ドル銀貨をアギラの口---歯にくわえさせる。
そして、その銀貨はかつて軍隊襲撃の分け前として、アギラからたった一枚、投げつけられたものだ。
だから、この映画の原題が「歯の中の1ドル」と言うんですね。
主演のトニー・アンソニーは、アメリカ出身の俳優でアメリカ時代はパッとせず、やがてイタリアへ渡り、何本かの現代劇に脇役で出演していたが、やはりパッとせず、おりからのマカロニ・ウエスタンブームの波に乗って、この映画の主役の座をつかんだと言われています。
オーディ・マーフィを貧相にしたようなマスクや、小汚いスタイルにショット・ガンといういでたちが、いかにもマカロニ・ウエスタンのヒーローらしく、強い印象を残していたと思います。