1.アンドレ・バザンがもしこの映画を見ることが出来ていたならば、『小間使いの日記』以上に「悲劇と喜劇の結合」を達成した作品と評したのではないか。
悲喜劇が目まぐるしく交錯する様においては、ルノワール作品の中でも随一と思われる。
葬列に紛れて逃走するシークエンスでは、逃げおおせる者と警察に連行されるものが同一ショット内で交差する。
あるいは、歯科医での絶叫。懲罰のあひる歩き。農家からの脱走失敗。どれもこれも悲惨の中の滑稽味に笑いを誘われずにいられない。
開いたドアの奥で、伍長(ジャン=ピエール・カッセル)と歯科医の助手のドイツ娘とが交わす抱擁とキスのシンプルな描写がいとおしい。
ラスト近く、国境そばの小作農の男女が伍長らに見せる気持ちよい応対と表情も忘れ難い。
フランス贔屓の酔っ払いも、農家の主も、敵対する収容所看守に到るまで人間的魅力に満ちているところがルノワールならではの人間主義といえる。
『大いなる幻影』で賞賛された観念性にも囚われることなく、ひたすら人間本意に、俳優の魅力をありのまま写し撮ることが第一義として貫かれている。
そのための必然的な長廻し。ここぞのクロースアップ。民主的パン・フォーカス。
手段としての技法が映画の中で活きてくる。