13.《ネタバレ》 最高に笑えるのだし、最高に泣ける。
終幕間際、リムジンが倉庫に続々と集まってくる。
そしてエディット・スコブは車を降りる前に仮面を被るのだ。
『顔のない眼』だ。なんというまさかのオマージュ。
そして彼女すらもスクリーンから消え去った後、彼らが遂に話始める。
「もう誰もモーターを望んでいない、行為を望んでいない」
自らをもうじき廃車になるのだと嘆いている。
そう、聖なる機械が、嘆いているのだ。
HOLY MOTORSとは、そういうことだったのではないかと思う。
日本では、舞台などでもそうだが、上手・下手と言うわけだが、
フィルムカメラは下手側にファインダー上手側にモーターがあって、
海外はファインダーとかモーターなどと言って方向の統一をするわけで、
モーターが駆動するように、この映画も駆動して人物の身体的躍動を撮らえるわけで・・
まぁ、そういうことは、本当にどうでもいいのだけども、
そういうことだと思えて仕方なく、ただ泣けてくるのだ。
冒頭の映画を観ている観客たちは果たして本当に映画を観ているのだろうか。
ただ眺めている、あるいは眠っている。
ミシェル・ピコリが言うだろう「観るひとがいなくなったら?」・・
・・などと、そんな面倒くさいことなど考えることすらも放棄したい。
人物が動き、人物が喋り、カメラが動き、音が響き、
スクリーンに今まで見たこともない事実が投影され続ける。
そう、ゴジラの旋律に笑って、カイリー・ミノーグの歌声に涙する、
もうそれで充分過ぎるほどの映画だ。