8.《ネタバレ》 ちょうちょが出てきて過去へ通じるトンネルへ…とくると、バタフライ効果的な過去改変ものかな…と思わせるわけですが、実は全然そうじゃないというのがこの映画のキモ。
何度も映画化されているフイニィの「盗まれた町」やウルトラセブン47話「あなたはだぁれ」のような「いつの間にか周囲の人がよく似た別の人に入れ替わっている」という「ジワジワくる侵略物」なのです。
侵略者が未来の地球人という意味では「宇宙戦士バルディオス」あたりと同じだと言えなくもありません。
で、それだけであれば先に書いたタイトル以外にもすでに多数の作品があるわけで今更めずらしいテーマでもないのですが、この映画が変わっているのは、それを侵略者側から描いている事。
といっても侵略者側にそんな意識はあんまりないわけですけどね。
そしてこれタイムトリップもののように見えますが、構造的には「5年時間のずれたパラレルワールドがトンネルでつながっている」ようなものだと思います。
時間のずれたパラレルワールドがつながる…というと最近の「僕は明日昨日の君とデートする」なんかと近い構造ですね。
実際、邦題も「交差する世界」ですし。
で、この映画の中では5年進んだ別の世界から来た人達が、自分の過去をやり直すべく5年前の自分を殺して入れ替わっていくわけなんですが…ちょっとツッコミどころが多すぎる気がします。
そもそも日本人的な感覚で、いくらなんでも5年前の自分をさくっと殺して入れかわるなんて選択そうそうしないように思います。
しかしこの街の人は違う。ほとんどの人がバリバリ過去の自分を殺して入れ替わっていきます。ドイツ人のメンタリティってそうなの?怖いんだけど!
もう一つ、5年と言えばかなりの時間。
35歳の自分が30歳の自分と入れ替わるわけです。
5年ですよ?
とても親しい人に対してごまかせるとは思えません。
5年はそうそうごまかしのきく年齢差じゃないよ、と思うんですが…しかし、この映画ではほとんどバレずにバリバリ入れ替わっていくわけで、え、ドイツ人は年齢差とかわからないものなの?
根本的な疑問として、あのトンネル、車で壊れるくらい物理的なものみたいだけど、どういう構造でつながってんのよ?とかね。
まあ設定だけ見ればいろいろ突っ込み放題のこの映画ですが、結局のところSFなどではなくただのファンタジーなわけです。
設定はあくまでもドラマを構成するための材料にすぎず、先にタイトルを書いた「僕は(略)デートする」などと同様「話を面白くするために都合よく構築された設定」にすぎないわけです。
ですから、この映画を観るときそこに気をとられたら負けなのです。そこは話を作るためのご都合主義で作られた設定にすぎないわけですから。
この映画の見どころは、人間のいろいろな感情、こういう状況に追い込まれたときの人の心の動き、そのとき自分はどうするのか…という人の心に焦点をあてたヒューマンドラマにあります。
そういう観点で映画を観ると、そこはシリアスによく描かれている映画だと思います。シリアスすぎて遊びが少なく観ていて少々疲れるのが難ですが。
そして、それを象徴するのがラストシーンの「自分の判断が正しいかどうか全然わかんなくて座り込んだあとそっと手を触る微妙な関係の元夫婦」というエンディングだと思います。
結局、人間が生きるという事は毎日何か選択を続けていくという事なのです。
そして何を選んでもそれが正解かどうかは誰にもわからないわけで、5年前に都合よく戻っても結局何が正解かは人間である以上やっぱりわからないのです。
そのむなしさを象徴するのが先の意味深なラストシーンなわけですね。
地味ですが真面目に作られていてよくできた映画だと思います。