10.《ネタバレ》 ヒッチコック初のトーキー作品、ですが、冒頭の警察車両が急行して容疑者を逮捕するシーンや、クライマックスの逃亡~追跡シーンなど、部分的には、いかにもサイレント映画。両方の要素が楽しめます。セリフ無しで盛り上げる手法自体は『知りすぎていた男』なんかでも再現されていますが、その先駆となっているだけではなく、冒頭シーンとクライマックスとが、サイレントという手法を通じて対になっている(一種の「再現部」になっている)のが、構成の面白さ。もちろん、ただ同じことを再現するのではなく、舞台となる大英博物館の異様な雰囲気が目を引きます。特に、巨大な顔面の石像(これ、何?)の前で人間がロープにしがみついている場面、『逃走迷路』『北北西に進路を取れ』などを思い起こさせますが、空間にポツンとぶら下がる人間と、背景に写るその影が、像の巨大さと人間の小ささを際立たせて、異様さの点ではまさに随一。博物館の屋根の場面などでも、人間の小ささが、異様な雰囲気をもたらします。
という風に、多分に実験的な作品になっていて、その後の作品に大きな影響を与えた手法もあれば、たいして影響を与えなかった手法もあると思うのですが(笑)、それらひっくるめて大いに楽しめるのは、ストーリー自体はシンプルにズバリ要点を突いて、90分弱にまとめ、スリリングな娯楽作に仕上げられているから、でしょう。実験的な手法が自己満足に陥らず、作品を彩る「面白さ」に繋がってます。また、ただただスリリングであればよいという訳ではなく、緩急をつけることで後半盛り上げていくのも、お見事。もっとも、映画を倍速で見る(見たことにする)ような人たちなら、間違いなく「緩」の部分は早送りで飛ばされてしまうんでしょうが・・・勿体ない。
後の作品への影響の有無、という事で言うと、「わざわざ見せなくてよいものを見せる」「普通なら見せてしまうところを見せない」という両面があって、この作品、色々とやり過ぎ感があるのが、ご愛敬。だけど、間接的には、様々な影響を与えていそうな、いなさそうな。
ヒロインが男に連れられ、アパートメントの階段を上っていく。その階段にはカメラ側に手すりが無く、要は建築物の巨大な断面図。これだけのシーンを撮るために、こんなセットをわざわざ作るのか、というのがまず驚き。なるほど、街路から空間的に隔てられた危うい世界に足を踏み入れようとしている、という意味あいはあるのかも知れないけれど、それは例えば後のシーンで登場する「窓からはるか下に見える路上の警官の姿」などでも充分に伝わる訳で、一体どこにカネかけてるのよ、と思っちゃう。けれど、確かに印象には残ります。
自分を部屋に連れてきた男との気だるいやり取りのうちに、次第に男の態度が変わってきて、襲い掛かってきた彼をヒロインはナイフで刺殺してしまう。その後、彼女の目には、ネオンサインのシェイカーが、振り下ろされるナイフに見えたり、彼女の耳には、他人の喋る言葉の中の「ナイフ」という言葉だけが強調されて聞こえてきたり。この辺りも、わざわざそれを画面で見せるか、音声で聞かせるか、というシーンではありますが、サイレントの手法、トーキーの技術というものにそれぞれ、正面から向き合ったからこそ、生まれたシーンとも言えそうです。
一方、肝心の殺害シーンは、これは「見せない」方の典型。もみ合う姿は壁にうつる二人の影で示され、さらに現場はカーテンの向こうへ。その後の顛末は、カーテンの隙間から伸びる「手」だけで暗示され、むしろ静かに描かれはするのですが、何と言っても目を引くのが、事件前後で一変する、ヒロインの表情。このこわばった表情が、事件の恐怖を物語り、映画の空気感そのものを一変させます。さらに、現場を立ち去る彼女の後、建物に近づく怪しい影。
もちろん、殺害シーンを見せる方がよいとか、見せない方がよいとか言う話ではなく、例えば見せない手段をとった場合にはどういう表現があり得るか、ということ。ヒロインの凍り付いた表情が、より恐怖を持続させ、また恐喝者が現れて以降の彼女のモジモジした素振りによる「この先、どうなるのか」というサスペンスにも繋がっていきます。
事件の後、彼女が家に帰り、二階に上がると、外から鳥の声が聞こえてくる。こういうアンバランスさが、印象的。
一方で、再三登場する肖像画、それをダイナミックに捉えるカメラが、何やら象徴的。
シンプルだけど、盛り沢山。面白い。