16.《ネタバレ》 往年の外国映画、特に娯楽映画においては、その「邦題」に惑わされることが多い。
「地球爆破作戦」とタイトルを掲げ、粗筋に「コンピューターの暴走に対峙する人類の姿を描く」なんてあれば、当然、地球滅亡に向けて暴走し始めたコンピューターを人類が必死に防ぎ切る話なのだろうと思ってしまう。
が、この邦題はまず無視しなければならない。
実際は、「平和」を大義名分とした“国防”のために構築されたコンピューターが想定外に進化し、「平和」を純粋に実現するために、全人類を己の完全支配下に従えようとプログラミングが暴走するというストーリー展開だ。
根本となるその発想が、数多の映画でよくある“コンピューターの反乱”とは明らかに異なっていて、面白い。
冒頭、超巨大なコンピュータールームにて、主人公がシステムを起動させる。
CGなんて普及していない時代の映画である。レトロな美術セットによるコンピューター機器のビジュアルには、チープさを感じる反面、逆に独特の雰囲気があり、“マシーン”の恐ろしさを感じさせる。
もちろんSF映画なので、すべてが現実的なわけではなく、そもそもの設定が突飛である。
ただし、支配力を強めるコンピューターに抗う人類の無力さ、そして娯楽映画の定番を覆すブラックな顛末には、ゾッとするようなリアリティがあり、それがこの映画自体の面白味に直結している。
今日現在に至るまで、人類の進歩は、そのまま科学技術の浸食であると言える。
生活は日々便利になっていくが、いつの時代もそこには、“転覆”の恐怖が表裏一体で存在する。
そして、コンピューターに支配されていない「現実」が、決して「平和」な世界になっていないことも事実。
映画のラスト、人類の支配を成したコンピューターは、主人公らの絶望感をよそに「これで平和な世界となる」と高らかに宣言する。
その宣言に対して、主人公は最後の最後まで必死に抵抗し、「否定」をする。
が、その「否定」が必ずしも正しくないことを、主人公自身が心理の奥底で感じている。
その矛盾こそが、人類の存在価値そのものを脅かす恐怖であろう。
このクラッシックなSF映画は、そういう恐ろしさを40年経った今も雄弁に語っている。