72.《ネタバレ》 公開当時日本で観た。 SF映画好きだったし、「エイリアン」の監督作品だし、音楽がヴァンゲリス、見ないわけには行かない。
当時から好きな映画だったけど世間受けはしなかった。 しかし年が経つにつれて評価が上がっていった。
舞台設定は2019年ロスアンゼルス。 ネクサス6が開発されたのが2016年ごろ、今年だ。 確かに公開時(1982年)には遠い未来だったけど。
この映画が後の映画に与えた影響はとても大きい。 さまざまなシーンがオマージュ的に使われてきた。
デッカードとレイチェルのラブシーンは映画史上屈指の出来だと思う。 ヴァンゲリスの音楽がとてもよく合っている。
全体的に暗いシーンが多いが光の使い方が特徴的。 撮影したジョーダン・クローネンウェスの芸術的手腕が全面的に生かされている。
ロボット(レプリカント)がこれほどまで進化して人間に近くなったとき、人間との境界線はどこにあるのか、人間の定義はどこにあるのか。 突き詰めるとかなり哲学的なテーマ。
環境破壊、公害、人口爆発といった問題を抱えた未来社会の中で展開される話だが、たとえば公衆電話の使用など、1982年当時には携帯電話がまだ存在しなかったので描く事は出来なかった。
様々なバージョンの存在も興味をそそる理由のひとつ。 最初の公開時から日本で公開された海外版(残酷シーン入り)とアメリカ国内版があった。 後にビデオ発売されたときにアメリカ版が使われて私を含めて日本公開版を見た人には映画館で観たあのシーンが無いというような事が話題になった。 日本で言う「完全版」というのが最初に日本で公開された海外版なんじゃないかな。
デッカードの語りが全編に入っていたり、デッカードとレイチェルの逃避行が追加されていたりするがこれは配給会社が入れさせたものだった。
このときのシーンがクーブリック作品「シャイニング」の未使用カットだというのも有名な話。
ファイナルカットで初めて語りなしで鑑賞できる。 たしかにあの語りは余分だったと思うが今となっては語りつき版を何度も見た後だから判断は難しい。 もし最初から語りなしだったら、分かりにくい話がますます分からなかったかもしれない。
デッカード=レプリカントという設定も1982年公開版では曖昧にされていた。 後に発表されたディレクターズカットやこのファイナルカットではユニコーンの夢のシーンが復元されていてリドリースコットに言わせるとこれと最後のガフが作ったユニコーンの折り紙をデッカードがうなずきながら握りつぶすシーンを合わせれば(誰も知らないはずの自分の夢の事をガフが知っている)デッカードがレプリカントであることは明白で、それが分からなければ阿呆だという事になる。 でも視聴者からすれば別の解釈は可能だ。 元々ユニコーンの夢はレイチェルのものでデッカードがタイレルコーポレーションでレイチェルのデータを検閲した時にその情報を得たのかもしれない。 お医者さんごっこや蜘蛛の子の情報と同じように。 そしてその印象がデッカードの夢に現れた。 ガフもレイチェルの情報を知っていたのでユニコーンの折り紙を残した。 それを見たデッカードはガフが見逃してくれたのだと納得。
こんな解釈もあってよいと思う。 デッカードを演じたハリソンフォードはデッカード=レプリカントというアイディアに反発している。 この物語はデッカードが人間だからこそ成り立つのだ。 生身の人間とロボットであるレプリカントの愛。 これこそがこの映画の成立に不可欠だという。 私もその意見に賛成だ。
音楽は既存の作品「Memories of Green」をリドリースコットが気に入ってヴァンゲリスになった。 その権利関係で公開後長い間サウンドトラックのアルバムが発売されなかった。 メインテーマを含めてすばらしい音楽なのに長年にわたって映画以外で聴くことができなかったというのもファンにとっては渇望感をあおる事になったと思う。
公開作品に何度も手を加えたのはちょっと反則なんだけどファイナルカットと銘打つだけあって確かに完成度は一番高いと思う。