1.「ぼくの好きな先生」のニコラ・フィリベールが聾(ろう)者の家族や聾の子供たちの学ぶクラスを取材したドキュメンタリー。ここに登場する聾の家族は、いわゆる「障害者」のイメージから程遠い(もちろんこれはフランス国内の話で、ほかの国では多少事情が異なるだろうし、フランスでも昔は聾の子供が親から見放されたり、或いは今でも手話が禁止の学校があったりするらしいのだけれど)。この作品に登場する、ある聾者は言う。「(聾ばかりの家族の中で)一人だけ耳が聞こえるんだ。かわいそうだよ」。この言葉だけ聞くと「いくらなんでも言い過ぎでは?」と思うけれど、確かにこの映画で手話で楽しそうに会話をしているのを見ると(意図的なのだろうが、所々字幕のないシーンがある)、何だか自分が一人取り残されたような、不思議な気持ちになる。それと一番驚いたのが「手話は国によってそれぞれ違う。しかし聾者同士なら例え違う国の人間でも、二日もあれば意思の疎通ができるようになる」という証言(ちなみにこの発言をした聾者はその後「健聴者にはそんなの無理だろ?」と穏やかに微笑むのだ)。この作品を観ていると、彼らにとって「聾」はもはや障害やハンディキャップではなく(とはいえ全体から見ればマイノリティには違いないのだから、福祉などの問題もあるのだろうけれど)、手話もハンディキャップ克服の手段というよりもはや一つの「文化」なのだという事が実感できる。というよりこの映画は、障害者云々という事だけでなく、言語(コミュニケーション)というものの不可思議、そして他者、すなわち「自分と異なる“ルール”を持った人」をどう捉え、どう接するべきかを観る者に考えさせてくれる作品だと思う。