1.《ネタバレ》 生まれてくる子供たちに親を選ぶ権利も、住む場所も、国も、身分も選ぶことができない。子供は全てにおいて受け身の状態でこの世に生まれてくる。母親はお腹で約10ヶ月間子供を育て、
そしてやっとの思いで子供をこの世に誕生させる。それはこの世で最も素晴らしいことであり、それと同時にこの子の母親であるという責任も出てくる。しかし、残念なことにそうでない無責任な親が存在している。以前、ドキュメンタリー番組『もしも世界が100人の村だったら』を観た。そこで紹介されたロシアの土管で暮らす少年の話を思い出した。彼の名前はアレクセイ。父親の度重なる暴力で、家を出て冬は雪かきをしながらお湯が流れる土管で寒さを凌ぎ暮らしていた。この作品の少年クンデルも母親がいながら孤児院に預けられていた。しかし、孤児院で反抗的な態度ばかり取る為先生に怒られっぱなし。彼はどうしても母親に会いたくなり脱走する。やっとの思いで我が家にたどり着いたクンデル。しかし母親は見ず知らずの男と眠っていた。息子がどれだけ母親に会いたかったか、そんなキモチを無視した言葉。「何しにきたの?」母親は男がいないと生きていけない女だった。息子への愛よりも、自分が愛されたい思いが強く誰かに依存しなければ寂しさを紛らわせない。そんな母親に噛み付きその場を去るクンデル。彼がたどり着いたのは壊れた船だった。空き缶を広い、鉄屑を集めわずかなお金に換える。お金が貰えない日もある。食料を確保する為に泥棒もする。普通の子供なら、まだ母親に甘えている年頃。母親に愛され、笑顔で暮らしているであろう。しかし、クンデルは眉間にシワを寄せ、毎日生き延びるコトに必死だ。たまたま近所に住む裕福な家庭の少女と出会いその子と絆を深め、食料も与えられたがクンデルは親の愛を渇望し続けていた。またしても母親に会いに行ったクンデルに母親が放った言葉は「もう会いにこないで」彼女は息子を拒絶し、奈落の底に突き落としたのだ。子供を産むなら、最後まで責任は取るべきだ。それが親であり、それが使命だと思う。しかしそれを放棄してしまう親が後を絶たない現代社会だ。この話も実話が元になっている。映画の中作り話でない。この現実を受け止め、もう一度これから親になる若い世代は親になることを考え直さないといけない。子供は何も選べない。頼るべき人は親であり、親は子供にとって全てということを。