1.《ネタバレ》 オーバーアクト気味ではあるもののリー・J・コッブが巧みに演じる悪役老人のキャラクター造型の素晴らしさであるとか、撃つ方も撃たれる方も同一の画面におさめてしまう銃撃戦の見せ方であるとか、秀逸なところはたくさんあるのですが、オーソドックスな娯楽劇を期待していた者には物寂しさを感じさせる作品でもあります。
例えばゲイリー・クーパーがおっかなビックリ汽車に乗る様子や隣に座ってくる口の達者な男を見て、これは喜劇調なのかと思っていましたが(馬に乗るには便利だったろうスラっとした長い脚も汽車では窮屈そうに畳まねばならない皮肉にも見える)、列車が襲われ悪党どもの小屋に着くや否や完全に空気が一変します。特にヒロインにストリップを強要するシーンの禍々しさは作中随一の出来だと思います。しかし、そんな禍々しさ全開の悪党どもも、憧れの銀行は既に潰れ街はゴーストタウンとなり、ワイルドバンチは過去の遺物となってしまった寂しさを漂わせており、特に全てを承知の上で老人に味方するジョン・デナー(かな?)を倒したクーパーが(この銃撃戦も見事)、彼の男気に憐れみを感じるかのように、はたまたワイルドバンチに別れを告げるように、死体の手を合わせて送ってやるのも物悲しいです。
しかし何と言っても共に苦難を乗り切ったヒーローとヒロインがめでたく結ばれず、片想いで終わってしまうというのが決定的に寂しいです。思えばマン映画のヒロインは既に決まった相手が存在していて、その男から勝ち取るものであり、フリーで登場する彼女は最初から対象外だったのかもしれません。ということで、なんだかもう「西部劇はこれでお終いだよ」と言っているような気がするのです。