168.《ネタバレ》 人生50年~と信長は舞ったわけですが、私もとうに製造から50年を過ぎてしまいました。
で、そんな私が小学生の頃、リアルタイムで初めて聞き覚えた荒井由実の歌が「ひこうき雲」だったのです。荒井由実の初アルバムのタイトル曲で、この歌が話題になったのは1974年ころだったと思います。いやぁ懐かしいですね。
ちなみに一見きれいなイメージのこの歌ですが、実は投身自殺をした少年の事を歌ったものである事はあまり知られていません。
「空にあこがれて空をかけていく あの子の命はひこうきぐも」ですからね。命といっちゃってますし。空かけられませんよね人間だもの。
…と、その歌の出自を知っている自分としては、そもそもこの映画の主題歌として「ひこうき雲」が流れていた事にはかなりの違和感がありました。
「ちょおま」状態です。イメージ先行もいかがなものか、ってとこでしょうか。
さて、そもそもヤマトガンダムのリアルタイム世代でアニメ少年だった私は、昔、宮崎駿が大好きでした。
「未来少年コナン」や「ルパン三世カリオストロの城」で魅せる「職業漫画映画監督」としての力量は当時から素晴らしいものがあって本当にワクワクしたのです。
彼の作品に出てくるヒロインはどれもこれもそっくりの「うんちもおしっこもしないような可憐な美少女」で、これは当時のテレコムアニメーションフィルムの若手アニメーター座談会でも女性アニメーターが話題にあげてました。
ある日の事、「監督ってうんちもおしっこもしないような女の子しか出しませんよね」とその若手女性アニメーターが宮崎監督に言ったら「じゃぁ君は、うんちやおしっこをするような女の子が出るアニメが観たいのか」と言われた、というエピソードです。
(女性にはこのヒロイン像に抵抗がある人がそこそこ多いわけです(製作サイドの中でも)。まぁその気持ちはわかりますが)
この宮崎監督の理想とするヒロイン像は終始一貫していて、何十年もの創作活動の中、ついに最後の作品となったこの「風立ちぬ」まで貫かれています。
典型的な「男にとって理想的な都合のいい処女で女神な」この映画のヒロインが嫌いだという人も(特に女性には)いると思いますが、これは監督のまさに主義主張(そもそも昔からただのオタクなのです、この人は)なのですから、むしろぶれてない事を評価すべきでしょう。
と、まぁ宮崎駿についてはいろいろ語りたい事もあるのですが、しかし、ジブリの作家となってからの宮崎駿は個人的には結構嫌いなのです。
周囲からのなんらかの制限がある職業監督の頃と違い、映画を自由に撮れるようになった事により彼の内なる作家性が全面に出てくる事になったわけですが、その結果作られる映画は残念ながら「僕が観たいのはこういうのと違う」という方向になってしまっているからです。まぁ僕のために映画を作ってるわけじゃないから、それはしょうがない事なのですが。
で、そんな宮崎監督の最後の作品となったこの映画ですが、結論から言えば、この映画、ぶっちゃけさして面白い話ではありません。
展開も地味ですし「え、そこで終わりなの?」ってとこで終わるし、肝心の二郎(庵野)のセリフは棒読みすぎて笑ってしまうレベルです。
ズブの素人を映画の主演に使うような映画なんて企画ものでもない限り普通はありえないわけですが、なぜかジブリのアニメ映画ではそれが許されてしまうのは、よくわからない風潮ですよね。
また、世代的なものもあって、私自身子供の頃から「レシプロ戦闘機が大好き」ですし、当然、零戦の開発者である堀越二郎についてもよく知ってる人間なわけです。
で、なまじいろいろ知っている航空機マニアだからこそ、映画を観ていて「何を描きたかった」かがわかるシーンもあるし「なぜこうしたか」がわかるような気がするシーンもあるし、また一方で「なぜこうしなかったのか」と必要以上に疑問に思ったりもしてしまう、なかなか罪作りなテーマだったのも確かです。
しかも主題歌は小学生のときにリアルタイムで聞き覚えた「ひこうき雲」なんですから、個人的には自分の小学生の頃の、そして宮崎駿が好きになったころの原体験を思い出させてくれる、きわめて個人的な意味で感傷的な映画だったと言えます。
しかしそういう個人的な原体験をはずして考えれば、この映画、役者の演技はまるでダメだしストーリーも地味でさして面白くありません。とても高評価できる映画ではない、としか僕には思えないのです。