1.《ネタバレ》 柴田トヨはいまの高齢化社会を象徴するような詩人だ。90歳で詩作を初め、98歳で初詩集出版。徐々に認められ、「百歳の詩人」として一躍有名になった。過去に例をみないことだ。詩の特徴は、なんといっても言葉からにじみでる“優しさ”だろう。うまい、へたを越えている。映画は、時折トヨの詩を織り交ぜながら、その半生を丁寧に描いていく。
劇的な人生を送ったわけではないが、それなりに起伏がある。実家は裕福な米屋だったが、大正の米騒動で家が傾き、奉公に出された。最初の結婚が夫の暴力などにより縁切りになった。空襲のさなか、二番目の夫となる大工の男性から求婚される。そして息子、義一という子宝に恵まれた。息子もやがて結婚。その息子夫婦との関わり合いを中心に物語は進行する。嫁はしっかり者だが、この息子というのが曲者なのだ。
若いときに小説家をめざすが挫折。結婚するものの、定職にはつかず、時に職を得ても長続きしない。競馬、競輪、パチンコなどギャンブルが趣味。妻の保険外交員としての稼ぎが家計を支えている。父親と顔を合わせれば喧嘩をし、母親にはギャンブルの資金を無心にくる。いわゆる問題児、馬鹿息子の類だが、“根はいい人”。90歳過ぎて精気の失せた母を気遣い、脳の活性につながると詩作を勧め、添削も行う。そして何とかお金を都合し、詩集出版にこぎつける。
柴田トヨは人生を完走した人だ。詩という言葉の翼を得て、あるときは乙女時代の想い出を、ある時は夫への愛情を、ある時は母の強さを、ある時は自然と生命の賛美を、陽だまりのような優しさで綴った。その優しさがあればこそ、息子夫婦は決して母を見捨てなかったし、それが稀有な高齢詩人の誕生につながった。トヨの詩は三人の合作ともいえるだろう。彼女の詩は優しさだけではない。人生に前向きな姿勢が人生の応援歌として読者の心をゆさぶるのだ。「九十八歳でも恋はするのよ/夢だってみるの/雲にだって乗りたいわ」詩人の特質は、みずみずしい感性と豊かな想像力であり、年齢は関係ないことを証明している。
出演者の演技が自然で良い。脚本も無理がなく好印象。感動させようという過度な演出は薄い。登校拒否の少女や患者を救えなくて苦悩する若い医者の挿話も上手に取り込んでいる。残念なのは、冒頭場面だ。手振れカメラによる超顔アップとパンの連続の演出意図が不明である。