4.・・・しかしながら、SHOAHは、残された被害者の再度の苦痛の上に成り立っていることを認識せねばなりません。アウシュビッツ後も、「自分だけ生き残った」という罪悪感に苛まれた生存者は遺恨を残し、自殺が横行したそうです。この事実を重く受け止めているならば、このような映画を作ろうなどという愚考には至らないはずなのですが、インタビュアーは何をもってかあの惨劇を克明に想起させるよう生存者に暗に催促するのです。「あの大虐殺を再度繰り返さないために」生存者はあの惨劇を語りたくもないのに語らなければならないのですから、お互いの同意の上で成り立っていてもいたたまれません。確かに私達見る側が戦争の悲劇を知るにはこれほどうってつけなものはないでしょう。その点では見る価値は十分にあります。
しかし見失ってはならないのは、繰り返しですがインタビューすることそれ自体が、生存者の苦痛の再生産であったと把握すること。私達はあの惨劇が苦痛に満ちていたということを知るだけでなく、同時に映画そのもの、つまり作中でインタビューに答えている生存者までもが苦痛に満ち満ちていたことを知らねばなりません。SHOAHは生存者を二度苦しめた、断罪されて然るべきものなのです。