102.《ネタバレ》 公開当時私は小学生でしたが、それでも流石にガッカリした記憶があります。
今回数十年ぶりに見返したら記憶よりは良かったです。ダメな映画の観過ぎですかね。
退屈な作品ですがエログロを抑え普通のヒーロー映画に舵を切ったのは妥当な判断だと思いました。
「ロボコップ」はエログロと社会批判を取り入れ続けなければならないという自縄自縛に長年苦しめられた作品で
2014年のリブートなどはなまじその方向で頑張ったために客の多くは原典である1作目と比較検討をしました。
そんな事を続けるのが作品にとって幸せだったのでしょうか。
新しいガンダムが作られるたび作り手が富野監督の作家性の再現に走っていてはジリ貧です。
本作では作劇レベルでバーホーベンフォーマットの解体が行われています。
1・2作目で繰り返された「マーフィーが自己決定権を奪われ、取り戻す」というパターンが
本作ではラザラス博士が感情制御チップの取り付けを命じられつつ独断で破壊するという形で破られていたり
「機能不全に陥った警察の苦悩」要素も堪忍袋の緒が切れたリード警部以下
デトロイト市警の面々がバッジを捨てることで事実上ここで消滅しています。
また中盤で、恐らくラザラス博士の手によるものと思われますが
いわゆる"DIRECTIVE 4"がしれっと削除されているシーンは注目すべきポイントで
ここは目を疑った方も多いのではないでしょうか。
そうして1作目から続く諸要素を取り去り残ったものは
「自らの意思で善悪を判断し戦う」という古びないドラマの骨格部分であり、
それさえあればロボコップはNYであろうとシカゴであろうと自由に戦えたのではないでしょうか。
本作にはロボコップがヒーローとして生き残るひとつの可能性が示されていたように思います。
また本作では、ロボコップによる治安維持活動がほぼ描かれません。
初登場時から署長の命令を無視して仲間の救援に向かい、後半はなんと警察署を襲撃。
ルイスを殺害したマクダゲットを追います。任侠と仁義で動き必要なら命令無視。
警察の親会社だろうがなんだろうが、悪人は退治する。
これだけでも十分にヒーロー映画の主人公として成立していますが
リハッブに両親を殺された少女との会話が目を引きます。
"Your parents, you miss them?"
"Yeah"
"But... You remember them. Because... If you remember them, they're never really gone."
2作目でも子供絡みのシーンは存在しましたが、こちらではより踏み込んで素顔を晒し
自分なりの言葉で少女を気遣うマーフィーの姿が見られます。
そしてロボコップが敗北するということは、彼と同じように家族を失ったこの少女が象徴する
虐げられてきた者達の敗北を意味するという、実にヒーロー映画らしい作りになっており
これまでの「使い捨ての消耗品として扱われる警察官の悲哀」といった私的な物語をこえて、
彼の戦いが彼個人だけのものではなくなっている様子が見て取れます。
そして物語はフィクションの度合いがいよいよ東映特撮並になった
シリーズの宿敵オムニ社との決着までをキッチリと描きます。
期日までに住人の立ち退きが果たせなかったために巨額の借金がのしかかり
株価は冗談みたいなグラフで下降して社長「が」解雇されます。
カネミツグループがその後どうするか分かりませんが少なくともオムニ社は完全に終わりです。
ここにきて1作目から地続きの諸要素は、ほぼほぼ解体され尽くしたと見てよいでしょう。
(ルイスまで退場させなくてもよかった気がしますが)
また本作では特に、1作目にオマージュを捧げたシーンや台詞が頻出します。
私はこれらを、ファンサービスを兼ねたバーホーベンフォーマットへの訣別と見ました。
こういうのは正直何度もこすり倒すものではないですし、原典の要素を踏襲するタイプの続編は
ここらが潮時だったのではないかと思います。
「ロボコップ3」と地続きの世界の先には、バーホーベンの呪縛に縛られない、
ヒーロー要素がむき出しになったロボコップの活躍する未来があったのかもしれない。
いっそここで、マーベルやDCのヒーローと絡めるぐらいの作品に換骨奪胎しておいた方が
長い目でキャラクターとしてのロボコップにとっては幸せだったのではないか…。
今となっては詮無いですが、そういう事を見返してみて少し考え込んだ次第です。