3.毛皮の女の長回し、まるで水が静かに流れているかの様な躍動。
そしてただただバイクが疾走するだけの躍動。
それらがスクリーンに投影されている。
それを観ているだけで思わず涙しそうになる。
もうそれだけで、この映画は充分に素晴らしいだろうと。
映画とはそういうものだと思うからだ。
なんだか久し振りにこんなにも映画を観ながら熱を帯びて痺れてしまったもので、何よりも最高の光をフィルムに定着させている。あの絶妙な薄暮の中を走る船であるとか、本当に見事なまでに豊かな映画であったと思う。
そして、何よりも、ホアキン・フェニックスがフィリップ・シーモア・ホフマンを睨むように見つめ微笑むあの顔の美しさったらない。彼の熱や精気が徐々に失われ、顔面の脂も抜けて、ただの骨と肉と魂の塊へと姿を変えていく美しさよ。そんな骨と肉と魂の塊が彷徨い、両の眼を涙でギラつかせ、口許を歪ませているだけのクローズアップ、そしてその陰影。
映画は、物語などを超えて、観るという体験として身体に刻み込まれるものだ。