1.公開の頃にどこかの映画紹介で「敢えて性的な観点に重きをおかず…」みたいなことが書かれてて、阿部定でそれをして何が描きたいのかよく解らん、と思った覚えがありました。入ってるケーブルでWOWOWの配信があった頃、つけたら丁度冒頭だったので鑑賞したのですが、放送コードが日本より厳しいこの国でもあまり映像が途絶えなかった(編集されてるわけでは無いので、問題場面で映像が切れる。問題ない場面になると映像が戻るので、どの位放送コードに引っかかる場面が続いたのかは判る)ことからしても「敢えて性描写を控え目にしている」のがよく解りました。問題なのは抑えたのが「直接的な性描写」のみならず、性の対象であった吉蔵(役名は龍蔵)は実はどうでもよかったかに見えること。関係した幾多の男性とさして違いは無いというか、吉蔵への思いより岡田への追慕がやたらクローズアップされ、「思春期のトラウマとそれと同時に芽生えた初恋」みたいのが、阿部定のベースになっていたんだよ、という映画になっちゃってます。うーん、やっぱそりゃ無理があるでしょう。どんなに多彩な男性遍歴があろうとも、あんな事件を起こしたのは吉蔵が特別だった証拠でしょうから、吉蔵とのやっちゃ寝三昧の生活中もあのパンが象徴的に登場し、岡田との想い出の方が本当は大事、みたいな描写をされたら、その後の事件の説得性もなんもあったもんじゃありません。監督には、女性は基本が純情みたいな幻想があるんじゃないかなあ・・・。