1.タルコフスキー定番の、馬、犬、水、雨、火といったものは、タルコフスキーにとっては、聖なる世界、超越的全体への水先案内人なのだろう。それらをイメージし、接することで、タルコフスキーは、聖なる世界を感じ取ることができるのだ。心理学的に言えば、それらは「移行対象」ともいえる。、、、、、だが、僕にとっての「移行対象」は擦り切れた毛布だったり、降りしきる雪だったり、生暖かい春の風だったりする。、、つまり、犬や馬を見せられても、聖なる世界とのつながりなど微塵も感じられない。だから、タルコフスキーの映像を見ていると、例えて言えば、子煩悩な親父が丹誠込めて作った子供の成長ビデオを、無理に見せられている気持ちがしてしまう。もちろん、子どもの成長ビデオといっても、ロングショットが使われていたり、嗜好を凝らした誕生パーティが描かれていたり、映像として面白いものもあるに違いない。だが、その子どもに対する愛が共有できなければ、成長ビデオは、相変わらず、他人の私的な持ち物にとどまってしまう。、、、、、、つまり、僕は、タルコフスキーの聖なるものの世界に同感できない。だから、この映画は、タルコフスキーという他者の自慰的感情吐露の私物にしか思えないのだ。