4.あいも変わらず車寅次郎という男は、馬鹿で、愚かで、滑稽だ。
まったく自分自身とは関わりの無い映画の中の世界の他人であるにも関わらず、馬鹿さ加減には、時に苛立ち、若干の憎しみすら感じる。
でも、ぎりぎり、本当に紙一重の部分で、憎みきれず、愛おしい。
そのキャラクター性は、映画というマジックが生み出した一つの奇跡だとすら感じる。
シリーズ第三作目にして、監督が山田洋次から変更になっていることが影響しているのか、作品としてどこか勢いの無さみたいなものは感じる。
無論、分かりやすい派手やさや勢いがある類の娯楽作品ではないのだが、第一作、第二作には、ささやかで何気ない描写の中で、言葉では表しきれない演出や演者の大胆さや迷いの無さが、極上の娯楽を生み出していたように思える。
三重県が舞台ということもあり、全編に渡って随所に挟み込まれる工業地帯の背景や、行き交うトラック、公害による患いを想起させるキャラクター描写など、少々作品のテイストにそぐわない社会性が不協和音になっていたようにも感じた。
それはそれで、作品当時の社会性や風俗を映し出しているとも捉えられ、興味深いポイントではあったのだけれど、“寅さん”という娯楽に求められるものとはやや乖離していたように思う。
倍賞千恵子の登場シーンが極めて少ないことなど、この後何十年にも渡ってシリーズ化されることなど想像もしていないのだろう製作現場の空気感も伝わってくる。
とはいえ、車寅次郎というキャラクター造形と、彼が織りなす人生の機微は益々深まっていく。
プロローグとエピローグで共通して、寅次郎が存在しない自分の家族を朗々と語るさまは、なんとも切ない。
毎年正月(1月)に、「男はつらいよ」」を観ることを決めて早3年。
3年で3作目では、流石に50作もあるシリーズを負いきれないので、少しペースを上げて車寅次郎が越えていく時代を追いかけようと思う。