2.「カスバの女」なんて歌が生まれるほど、日本には“北アフリカへのロマン”があった。『モロッコ』や『外人部隊』や本作の、映画の影響なんだろう。とくに本作はヒットしたらしい、当時の人はこの映画がいかに話題になったかをよく語る。全編に渡る異国情緒が、当時の日本のロマンチシズムとうまく重なった。フランス人がアルジェリアに抱くある種のロマンが、日本にとっての中国大陸へのロマンと重なった。息苦しくなってきた自国から見た植民地の「楽土」の感じ。最後の逃げ場所としての土地への幻想。迷宮のようなカスバの街は、上海の迷宮に重なる。身近に満州なり上海なりに渡った人は多くいただろう。そこらへん「♪ここ~は地の果てアルジェリア~」でありながら、身近にも感じられたのだ。この邦題もまた日本人をくすぐる。たしかに望郷の念がこの映画の隠し味になってはいるが、それを題であからさまに語ってしまうのは、いささか野暮であった。パリの女性を介して祖国への望郷の念が狂おしく沸き立つところが後半の痛ましさで、あくまで題は「ペペ・ル・モコ」のほうが粋なのだが、ここではっきり「望郷」としたのは、映画会社の邦題担当者の頭に歌舞伎「俊寛」のイメージが湧いたのではないか。流刑の島で一人だけ赦免状を貰えず祖国に帰る船を見送る俊寛僧都の話は、戦前の日本社会では一般常識としてあっただろう。そこらへんを突く邦題だったのではないか。太った元スカラ座の女性歌手が、若いころの写真を壁に貼ってかつての歌をレコードで聞くあたりにフランス映画ならではの味があるが、どちらかと言うと当時の日本の気分を知るに役立つ作品である。