5.ナチスもの作品に見る、ごく普通の人間が戦争時にはどんな残虐な事でも淡々とやってのける恐ろしさ。実際のアイヒマンの証言模様はそこらへんの無責任社員の物言いでやはり恐ろしい。物事を自分なりに考える自分の目で確かめる感情気分だけで判断しない、小はそこらへんのオバハンの寄ってたかっての1人への悪口ヒソヒソ話、大は本作のハンナ・アーレント。彼女の知性はもとより揺るぎない態度は真似の出来ない凄みがありました。 |
4. 第二次大戦・ドイツあたりの知識が必要。誰にでも勧められる映画ではないが、深い作品だ。 【海牛大夫】さん [インターネット(字幕)] 7点(2018-01-03 15:06:29) |
3.人種差別を批判することと同胞への愛を訴えることは突き詰めれば同じことである。だが多くの人たちはそのことに気づかない。正義というのはどこまでも客観的であろうとすることなのかもしれない。少なくともハンナ・アーレントという聡明な思想家は一貫してそうあろうとした。愛と正義は違う。私的な場では主観的な愛に殉じても、公的な場ではただただ客観的な正義に殉ずるのみである。だからこそ彼女は「友人は愛してもユダヤ人を愛したことはない」と言ったのだろう。この映画はハンナ・アーレント哲学を紹介するものではない。批判や疎外に屈することなく自らの正義を貫いた一人の女性の生き様を描いた作品である。 【ばかぽん】さん [DVD(字幕)] 7点(2015-02-16 09:54:51) |
2.アドルフ・アイヒマンは冷酷な極悪人だったのか、それとも命令に忠実な小役人にすぎなかったのか。映画はアイヒマン裁判の実録フィルムを交えて、ハンナ・アーレントの論理を展開していく。大詰めのスピーチシーンは、誰しもがアイヒマンになりうることを指摘しているようにも思う。 【ESPERANZA】さん [映画館(字幕)] 7点(2014-02-20 19:36:16) |
1.非常に静かな展開だけれど、最後の講義のシーンで一気に緊張感が頂点に。・・・うーん、これはなかなか厳しい作品です。彼女の書いた「イェルサレムのアイヒマン」を読んではいないけれど、これに激怒した人たちは結局どういう原稿だったら納得したのだろうか。恐ろしいのは、ユダヤ人の一部がナチに協力していたという裁判で明らかになった事実を書いたことが激しく批難されたという点。被害者のネガティブ要素を指摘すると過剰攻撃されるって、これ、どこかで見たことあるような・・・。アイヒマン=ナチの幹部=悪人、という構図に則った言論以外は批難される・・・、これも今でも普通にあちこちで見られる現象です。事実を冷静に指摘することが、猛烈な批難の嵐を呼び起こす・・・。最近も見ませんでしたっけ? 結局は、アイヒマンも、彼女のレポートを激しく批難した人々も同じ穴のムジナ(考えることを放棄している)。何にせよ、よからぬ出来事というのは、あらゆる立場であらゆる側面から事実を客観的にあぶりだすという作業をしないと、同じ轍を踏むことになるわけですが・・・。人間は基本的には愚かですから、そういう当たり前のことをすぐに忘れてしまいます。先日、小泉元首相が久々の記者会見で揮毫をしていました。「一行は百考に如かず」でしたっけね。考えるよりやってみろよ、ってことですが、考えないと大変なことになる、という本作を見ると、結局のところ、考えることと行動に移すことのバランスがいかに難しいかがよく分かります。考えないで言われるがまま行動するのはある意味楽ですし、でも、行動せず考えるだけの方が楽なことも多々あります。言い換えれば前者は「追従」であり、後者は「妄想」です。どちらも地に足がついていないってことで、本当の意味で「考える」人がすることではないわけです。これ、怪しげな宗教みたいなもんです。教祖の言うことを妄信し、冷静さを失って自分の世界に浸る・・・。アイヒマンも結局ヒトラー教の忠実なる信者にすぎなかった、と思えば、まさしくただの「小役人」という言葉がピッタリです。今の日本の世相も何となく考えることを放棄しているっぽい感がなくもないですが、この作品を、今の安倍信者たちにも見てもらいたいと思いました。しつこいようですが、厳しい作品でした、本当に。 【すねこすり】さん [映画館(字幕)] 7点(2013-11-17 18:09:30) (良:2票) |