1.結局は製作されなかった実在しないSF超大作を、「まさに傑作である」とドキュメンタリ冒頭からやたら誉めそやす。これだけでも充分、聞いてて不安になってきますが、その後続く証言を聞いているうちに、その熱量に圧倒されて、不安も消し飛んでしまいます。もっとも、実際には作られなかったんだから、不安に思う必要は無いのですが。
しかし、いやコレ、もしも作られちゃったりしていたら、大変な事態に陥っていたんじゃなかろうか、このホドロフスキー監督作の『DUNE』。ヤバそうな臭いが、プンプンと。
自分が目指すのはあくまで芸術だ、ということで、芸術のためなら採算度外視、成算までも度外視・・・という訳にもいかず、サルバドール・ダリ相手のギャラ交渉のくだりではチャッカリしたところも見せるけれど、基本的にはすべてが規格外。このとんでもないプロジェクトには、仲間となる「戦士」が必要だ、ということで、各界に手を伸ばし、仲間に引き入れるべくアタックする。そのメンバー選定が、話を聞く限り、なんだかその場の思い付きに過ぎないようにも思えてくるのですが、思い付きであろうがなかろうがとにかく、これぞと思えば早速アタックし、次々に仲間に引き入れてしまうこの情熱と行動力。恐るべきものがあります。
早く誰かが止めなきゃいけなかったのかもしれないけれど、誰も止めず、あるいは止められず、ホドロフスキーの妄想は、具体的な形を伴ったものとなっていく。商業的には絶対に大コケしそうなこの企画、芸術的にも「?」な感じが拭えないこの企画、このまま行くとあわや実現しかねないところで、結局ストップがかかってしまい、幻となってしまう。芸術のためなら一切妥協しないという姿勢が、プロジェクトをここまで進めた原動力でもあると同時に、それを葬ってしまった原因にもなっている訳で。必然と言えば必然のような気もするけれど、それを思うと、あのナゾの「太陽の塔」を建設する一大プロジェクトをまとめ上げ、完成させた岡本太郎は、やっぱり凄い人だったんだなあ、と。
この作品、ドキュメンタリ映画というよりは、メイキングビデオを見せられている感もありますが、普通のメイキングと違って、本編を我々は見ていないし、そもそも見ることができない、という点で興味をそそられるし、聞けば聞く程とんでもないこの作品に、ついつい思いを馳せてしまいます。インタビュイーであるホドロフスキーが話しているうちに興奮していく様を捉えているのがまた、面白くて。冷静な中にも残念そうな気持ちを垣間見せる息子との対比。
この企画が、いかにその後の大ヒット超大作に影響を与えたか、というくだりは、要するに「パクられた」と言っているのですが、これまたこじつけのようで胡散臭くて、しかし言われてみればそうかも知れない、とも感じさせて、これもまた妄想の楽しさよ。