12.ギャングもやはり人の子ということか。
自分が殺されると分かったら、自分の命は仲間を裏切ってでも守るという「現実」が描かれていた。
ここにはギャングに対する憧れでは済まされない世界や映画で知る一般のギャングの世界とは違う世界が描かれていると思う。
デニーロは自分の身に危害が加わらないように、例え仲間であろうと強奪事件に関する人間を殺しまくっていた。恐らく彼は有無を言わさず、後ろから引き金を引いて殺したのだろう。
結束が固いはずのギャングの「仲間」「信頼」とは何かを考えさせられる。
それにしても序盤の口を割らないで皆から祝福された法廷シーンとラストで頼まれていないのにベラベラと口を割るシーンの対比は見事だった。
ラストのリオッタのビクビクしながら新聞を受け取る姿も印象的だった。ギャングであろうと、自分の身に危険が及べば、何でもする。人間にとって本質的な部分が描かれているとは思う。
しかし、もうちょいリオッタがあそこまで追いこまれるような姿はしっかりと描いても良かったとは思う。
仲間を「裏切る」行為はそれほど軽いものではないはずだ。
ここは重要な部分なので、カレンが自分の両親に会えなくなるとかならないとかそういう話で済ませてもらいたくなかった。まあ、これが本当の現実的な問題なのかもしれないが。
ジョーペシは相変わらずの切れ加減だが、本作よりも「カジノ」の方が近寄りがたい恐ろしさがあったな。自分をさえぎるものがいたら誰であろうと殺すような雰囲気があったのだが。
ジョーペシ関係も少し描き方が甘いような気がする。
ジョーペシが殺されて、デニーロは激怒するもののその後のストーリーに上手く繋がっていないと感じた。
また、死体のために穴掘ったり、マンション立つからと言って吐きながら掘り起こしたり、その後、クルマを奥さんに文句言われながら綺麗に掃除したりとするあたりが現実的な描き方であり、面白いと感じる部分ではある。