2.故郷を捨ててまで都会へと向かったものの、仕事の行き詰まりから挫折を味わい、やがて人生に絶望した挙句、追われるように舞い戻ってくる。その故郷の暗く凍てつくような環境は、都会となんら変わる事のない厳しい現実そのものであり、寒さが殊のほか身に凍みる。人生に失敗した者だけが味わう遣る瀬無さを、凍えるような土地柄に否応なく滲ませる。地方競馬が舞台である事により、その雑然とした殺風景な佇まいは、夕暮れに鈍く光る泥濘の寒々しさで増幅され、故郷の風当たりの厳しさを痛感する男の心象風景と重なり合う。この序段の描写が圧倒的に素晴らしい。ここ帯広にも不況の影は色濃く、ばんえい競馬存続そのものが困難な状況でありながら、必死で家業である厩舎経営を守ろうとする兄。しかし、彼とて目標が定まらず迷い続けている自分の人生を、思わず吐露するシーンは、誰しもが経験する焦燥感を言い表しつつ、奔放な生き方をしてきた弟を羨んでいる事をも感じさせる。弟を許せず辛く当たるのも、鬱積した気持ちの捌け口としての行為であり、単なる恨み辛みだけではないのである。一方、反撥しながらも兄に頼らざるを得ない肩身に狭さを感じている弟。そのあたりの心の揺らぎというものを、佐藤浩市と伊勢谷友介が共に抑揚のある見事な演技を披露する。そんな荒んだ心を癒してくれるのは旧知の友であり、仲間であり、暖かく包み込んでくれるのは故郷そのものである。そっと心の支えになってくれる人がいればこそ、生きる希望も湧いてくるというものだ。凝ったカメラワークもドラマチックな展開もなく、映画は彼らの何気ない日常を点描していく。そして、人生の機微に触れたしみじみとした味わいと、その情景描写のさり気なさは、いかにも土の匂いがする極めて日本的な風土から生み出されたものだと改めて実感できる。坂を懸命に駆け上がろうとする馬の姿は、いかにも絵になる本作を象徴するシーンだが、逆境をバネに、その力強さを自らの再生として夢を託すという意味では、同じようなテーマを扱いながら「シービスケット」とは趣が異なり、あくまでも人間のドラマに力点が置かれ、その表現力の泥臭ささは、どこまでも日本映画的だと言える。