9.若いころ、池袋に出たときはしばしば学生のふりして立教の学食でカレーを食ってたもので、懐かしかった。大学の交響団員が練習してるシーンなど、大学というところのリハーサル的な緩さが感じられた。壁がはっきりしてない感じ。ただ事件と映画づくりの絡みがピシッと来ない。このころの映画では『光の雨』もそうだったが、題材を映画メイキングものにして逃げてしまっているみたい。事件を映画化しようとしている意味を絞りきっていない。本作の場合、終わりのロケの場になってやっと柳町らしい緊張が出てきた。この人は正攻法の映画で帰ってきて欲しい。長回しはお遊びの域。 【なんのかんの】さん [DVD(邦画)] 6点(2013-11-14 10:47:33) |
8.怖い映画でした。私にとってはある意味ホラー映画より恐怖を感じるものでした。映画好きで、映画製作に力を込める大学生という設定が私と一緒で見たい!と思ってオーダーしました。さわやかな青春映画を期待していたのですがまったく違いましたね。いい意味で裏切られました。個性的な映画です。矛盾もあるし、腹立たしいし、痛々しい。日本の大学生ってこうなの?って首をかしげてしまう始末。私には理解できない人間模様が満載です。最後の殺人シーン、超リアルで怖くて吐きそうでした。エンディングもなんか垢抜けないけど、これはこれで有りかもって思いました。とにかく怖い…。 【未歩】さん [DVD(邦画)] 6点(2008-03-20 06:12:26) |
7.日本版アメリカンビューティー。面白くは・・・ない 【サイレン】さん [DVD(邦画)] 5点(2007-03-21 01:46:01) |
《改行表示》6.しょっぱなっから、映画好き、演劇好きの現代の大学の典型的な若者の日常”と思われる”風景が出てきたので、ちょっとイヤーナ感じがして、すごおく不安だったが、その私のばかな思いはすぐに吹き飛んだ!どっか別のレヴュで私は、この映画を”これぞ映画”なんて大絶賛して書いたが。ホントによい。ニヤケてしまうほどいい。ほんとに”これぞ映画です” ”さらば愛しき大地”とは大分違う造りなのだが、これもうううううん!と、うなってしまう。 名作!(こまかいとこは、またDVDみてから) 【男ザンパノ】さん [映画館(邦画)] 9点(2007-02-26 01:24:30) |
5.カミュなんて知らないけど、おまえらも知るか!って感じかな。自分には伝わるものがなかった、凡庸な映画。伝えたい内容は他の人のレビューの通りなんだろうか?映画が必ず何かを伝えなければいけないとは思わないが。これは作品としてダメなのでは?あいつがココリコの田中に、彼女が戸川純に見えてしょうがなかった。 【カーヴ】さん [DVD(邦画)] 3点(2007-02-14 22:48:50) |
4.時間が長く感じました。きょうび大学生でもカミュしらんのかい?って感じですけど小難しい理屈は抜きにつまらない作品に思いました。十分に伝えきれていないのを私は良しとしないなぁ。あと前田あきちゃん。昔はかわいかったけど大人になったら女優の「オーラ」がなさ過ぎかな。ファンにも申し訳ないけど・・・。 【たかちゃん】さん [CS・衛星(邦画)] 4点(2007-01-29 12:40:49) |
《改行表示》3.食い入るように観る。それは物語の高揚によるものではなく、映画の高揚によるものであることを知る。映画が映画であり、映画の魅力とは映画の魅力であったことを思い出す。ゴダール・ウェルズ・アルトマン・溝口健二・サイコ・メルヴィル・ラング・ベニスに死す・・・言葉で捧げるオマージュは容易であり、軽薄である。だが柳町光男は意思継ぐものとして作品を捧げてくれたのである。単体として捉えた時、長回しはたかが技術と努力であるし、クレーンショットや陰影の美しさ、エロスの質感や瞳の水気は単なる細部の豊かさに過ぎない。だが細部の豊かさを徹底することが映画にエモーションの連続性を与え、映画的サスペンス体験の緊密性を保つのである。そしてそういった才覚と人柄に恵まれた作家こそがシネフィルの眼に耳に脳に焼き付く決定的なショット、シーン、シークエンスを生み落とすのである。正常と異常の話が面白いのではない、それを映画の魅力に変換しているから面白いのだ。まずは陰鬱さから距離のあるはずの大学の集団に正常と異常を多岐の関係性に渡って溶け込ませ、果ては、異常と正常の関係性であるはずの映画と営みの境界線を取り除く。感嘆すべきはその関係性の構造であり、語り口の構築である。それこそが映画を魅力的にし、たかが話を面白くしているのだから。 【stroheim】さん [DVD(邦画)] 9点(2006-12-29 02:19:07) |
2.「不条理」と単なる「理由がない」のはちょっと違う。「不条理」には理由はある。でもその理由が理由となるのが何故か周りの人に理解されないだけなのだ。たとえば、誰かを好きになることに究極的な理由はなくても、「本をたくさん読んでるところが好き」みたいな一時的な理由はありえるし、その理由が理由として機能することは多くの人の賛同を得られる。でも、人を殺した理由が「太陽がまぶしいから」では多くの人は納得がいかない。後者を「不条理」というわけだ。ゆえに、人殺しの理由が「むしゃくしゃしてた」というものだったら、それは「不条理」ではない。だから、この映画に出てくるいろんなシチュエーションは、世界が「不条理」に満ちていることを表現し世としているみたいなのだけど、残念なことに、この映画が言う「不条理」は本当の「不条理」ではないのだ。というわけで、テンションはいいのに深みのない作品になっていると思う。おしい。 【wunderlich】さん [映画館(字幕)] 6点(2006-12-24 02:43:49) (良:1票) |
1.『黒い罠』のトップシーンが3分、『ションベンライダー』が6分半、『ザ・プレイヤー』が8分だけど実は2カットをうまく編集してる、あるいは『元禄忠臣蔵』のカット数の少なさなんかを学生たちに語らせながら主要登場人物が次から次へと映し出される本作のトップシーンの長回しが面白い。喫茶店に入れば、ゴダールの『男性・女性』のカフェでの長回しが語られ、「殺人の名場面映画」として『サイコ』や『サムライ』のタイトルが語られ、挙句の果てに大学教授のあだ名が「アッシェンバッハ」だったり妄信的に彼氏を愛する女は「アデル」と呼ばれたりと、映画ファンにはたまらない引用やオマージュに溢れている。しかも映画ファンを喜ばすだけに終わらず、いや、どちらかというと映画ファンを困惑させるように現代社会が「映画」に馴染めない環境であることを露呈させてゆく。「アッシェンバッハ」は美を眺めながらの死を許されずに美が妄想であることを思い知らされ、「アデル」も夢に生きることなく現実に戻ってくる。莫大な映画知識は「オタク」と笑われる。若者特有の「軽さ」、そして現代社会と映画との冷めた関係が描かれる。その中で町を走り抜ける学生たちを上空から捉えたシーンなんかパリを疾走するトリュフォーの画を彷彿させ「若さ」の瑞々しいところが描かれ、映画を通して次第に熱くなってゆく学生たちの描写は、けして「冷め切った」関係ではないことを見せてくれる。いいかげんな自由恋愛が横行するかと思えば、そのことを悔い、涙する女が映される。若者に対する凝り固まった概念を解凍しながらとらえどころのないリアルさを持った青春映画に仕上がっている。ラストの「映画」と「現実」の曖昧な境界線で見せる切りかえしはなかなか圧倒されるものがあった。中盤の中だるみがおしい。 【R&A】さん [映画館(邦画)] 6点(2006-05-15 17:56:15) (良:1票) |