1. 孤高の存在である。捕手にして監督というポジションで、チームを優勝に導いた野村克也は華々しい戦績を惜しまれながらも、衰えを振り切れずに1980年引退した。
彼は頭脳戦や分析を日本の野球に持ち込んだ人間の中核に位置し、野村前、野村後という線引きが可能なまでに日本の野球を昇華させたのである。
しかし、同時代には選手としての彼を上回るプレーヤーが存在した。王、長嶋である。同じ器の大きさを与えられた三人の中で、野村は王に努力量で勝てず、才能で長嶋に勝つ事が出来なかったと述懐している。その脚光は、独特に翳っていた。
「ボッボボ、ボー」
「ハイーハッハ」
数人の少年がカンフーで戦っている。昭和の小学生の定石ともいえるこの小競り合いは珍妙なポーズと効果音でいつも演じられていた。そう、誰だって経験があるはずだ。三人以上がジャッキーゴッコを始めると、誰もがジャッキーを演じ切る事が出来ない事を、皆ご存じの通りだろう。
集団の中には突然、ジャッキー以外の誰かを演じる事で優位に立とうとする人間も出て来るのである。中でも人気があったのは少林寺をイメージした(と間違いなく本人はそう思っている)固い動きのカンフーと、もう一つは高い声で「ハイー、ちょっ待って、まだ構えてないから」と、道化を演じるデブゴンである。
ジャッキーやサモ・ハンらは、彼らの中で永遠のスターで有り続けた。同窓会の席での出現率が高い今でもそうである。しかし、一人の少年が颯爽と二本指で珍妙なカンフーバトルを始めたとき、一同は刮目し、当惑もしたのである。本人の中で妙に強すぎる設定でなかなかやられてくれない彼は、ユンピョウを演じていた。
全員から
「なにそれ」
である。ちょっと待て、そんなの見た事無いから無しね。という無情な言葉に抗議した彼は次の日にツーフィンガー鷹のビデオを見せる。と言う事で、皆に了解を取り付けたのだった。彼らの色褪せた思い出になっている。
しかし、富士の麓のキャンプ場に集まる今の彼らの中ではツーフィンガー鷹を覚えているものがおらず、珍妙な二本指カンフーばかりが酒の席に踊るのだった。一人が自生する花を見て地味な花だね、などと話題は流れていく。
同じような器を持っていた三人のカンフーレジェンドだが、ユンピョウは佳作とともにいつも埋もれていくのだった。しかし、彼もまた月見草なのである。