1.この映画で描かれていないものが一番重要なキーポイントである、という騙し絵みたいな映画。
じゃあこの映画で描かれていないものは何か? …それは宗教(娘の就寝前の祈りのシーンがあるじゃないか! と言う方もいるでしょうが、最終章でそれは無効になったと見た方がいいでしょう)。
ミヒャエル・ハネケはロベール・ブレッソンみたいな(つまり無印良品みたいな)描き方をする監督ですが、ブレッソンのように宗教家ではなく哲学者です。西洋で「哲学者である」というのは何を意味しているかというと、それは「神の存在を疑う人」つまり論理が全てを決める人であるワケです。そういう彼が『セブンス コンチネント』という、こういう題材を選んだ。
なワケで、神が必要な場面に、この映画の中では頼るべき何者も描かれない。
じゃあこの映画で描かれているものは? 家具と日用品と車と洗車機。そして親父さんの職場であるでっかい工場。物質、機械ですな。学校の先生なんか、あんだけセリフがあるのにほとんど顔も出ないです。
この映画は物質文明の到達点を描こうとしているワケです。家族が力を合わせて文明(いや物質)から逃げ出そうとする映画。哲学者であり、主人公たちと同じように神の存在を重視していない監督は、それを肯定も否定もしない。行動を淡々と追っていく(同時に物質との関わりも描く)。洗車機の中で自分の「無力」を感じた事のある人間なら、この映画をポジティブに受け取る素養があるかも。
オイラはまだ、この映画に抵抗するだけの余力が残ってます(注:うーん。観てから一週間、実はけっこうダメージ受けてるかも…)から、この点数にしますが(注:2点UPしました)…神なき時代において、先進国の神なき人間の全てに、同じ立場の求道者として「生の意味」を問い掛けたすざまじい映画が、20年近く前に撮られていた事は間違いないのです。