123.泥沼化する戦争中のさなか、人権派が発言力を増す1970年のアメリカの状況で
有無を言わさず悪人にマグナムをぶち込むイーストウッドの姿はさぞ爽快だっただろう。
当時のフィルムの特徴なのか、疲弊しきったアメリカの特徴なのかは分からないが
人も含め街全体がピリピリとした殺伐な空気は独特なものがある。
イーストウッドの魅力とともに、やはりマグナム44が印象深い。銃といえば開拓時代からの
アメリカのシンボル。だけど生死を分かつ要因が、腕の差より運の要素が強くみえてあっけない。
生死の差がドライすぎる。死ぬときは簡単に死ぬ。
しかし、考えてみれば銃大国であると同時にアメリカは宗教大国でもある。
基本ぶっ放すだけというシンプルな殺人道具である銃に、一神教を重ねてみれば合点がいく。
より厳しい修行を積んだ者が強い、相対的な東洋の英雄像。
技を磨く過程、主人公の成長に魅力やカタルシスを覚える。
敵もまた修行してお互い切磋琢磨し、いつのまにか分かり合う時もある。昨日の敵は今日の友。
善悪ではなく、因果応報による理と理のぶつかり合い。
に対して、生まれながらの才能が絶対的な力を持つ西洋的なヒーロー像。
初めから強い。苦労して強くなるイメージがない。たまに修行の場面があるときはだいたい、
謎の東洋風マスターがあらわる。基本主人公は強い。弱みなどみせないし、
グダグダなやまない。戦って勝つ。敵の弾は当たらない。敵に有無を言わせない。
正義は強い。強いから正義の世界。俯瞰すれば悪すらいない。
正義ともう一方の正義の戦い。勝てば天国負ければ地獄。
この絶対的なカタルシスの背景に、神に選ばれてる感、創造主をイメージするのだろう。