1.「応援上映」というキーワードは、それに対する是非はともかくとして、映画ファンの間では、今年特に頻繁に耳にした“流行語”だと思う。
「応援上映」とは、声も音も極力立てないように静かに没頭するものだった映画鑑賞の「常識」を覆し、劇場内の相互理解の元で、スクリーン上のキャラクターに対して文字通り「声援」を送ることを“アリ”とした新しい映画鑑賞スタイルのことである。
これまでは、ロングランとなった超ヒット映画のロードショーにおいて、鑑賞スタイルのバリエーションの一つとしてこの手の鑑賞環境が提供されることはあった。それが今年になり、「応援上映」を前提として公開される作品が注目されるようになってきた。
腐女子向けのアニメ映画や、某ダンスユニットグループのメンバーが主役にキャスティングされた作品がそれだ。
その鑑賞スタイルそのものに対しては、真っ当な映画ファンとして、どうしても否定的に捉えてしまう。
映画鑑賞は「読書」と同じ。基本的には、己唯一人でじっくりと味わうものだと思っている。
が、しかし。はたと気づく。
考えてみれば、この一、二年の間に、僕は何度も「応援上映」に参加しているではないかと。
そう「プリキュア」映画こそが、「応援上映」の走りであり、そのスタイルが圧倒的な「是」としてまかり通る唯一無二の作品なのではないか。
ということを、もはや恒例行事のように、愛娘と連れったって観に行った今作を観ながら痛感した。
一般的に「応援上映」と称されるものには、“サイリウム”の持参が不可欠らしいが、“プリキュア映画”に至っては、そんなものは当たり前のものとして劇場で“ライト”が配布される(お子様限定)。しかも、劇中では、それをそのまま模したアイテムが映し出され、キャラクターが「応援」を呼びかけてくる。
まさに「応援上映」。
そして、愛娘は勿論、劇場のすべての子どもたちが一斉に応援を送る様は、毎度のことながら、感動的である。
こういう機会が得られることは、親として、一映画ファンとして、とても幸福なことだ。
あと、ほぼ毎回のことだが、劇場内には、子供とその親たちに混じって、“大きいお友だち”が一人はいる。
彼らのことを蔑む気持ちは微塵もない。好きなものは好き。それは何よりも優先されるべきもので、押し通して然るべきだ。
そう思うからこそ、殊更に胸が痛む。
彼らにも、“ライト”を渡して応援させてやってくれ、と。