15.アウトロー。飽きずにはみれた。ロックンロールだね。 【すたーちゃいるど】さん [DVD(邦画)] 5点(2012-03-08 17:55:39) |
14.見る前から綾を寺島しのぶが演じるってだけでそりゃないぜ!とも思ってたんだけど、映画は原作とはまた違ったオリジナル「赤目四十八瀧心中未遂」であった。堕ちてゆく男が行き着く先として兵庫県尼崎市出屋敷周辺のいかがわしい土地(映画ではそこまで明確じゃなかったかも)を選ぶ。阪神尼から出屋敷一帯のいかがわしさは今でもその名残を残してはいるものの原作の舞台となる時代とは雲泥の差。映画が時代を現代にしたのはロケーションの問題もあったのだと思うがそのせいで原作に漂う「堕ちるところまで堕ちた」感が数倍落ちている。先に原作とは違うオリジナルと書いたがストーリーはほぼ忠実になぞっている。でも作品の印象は全く別モン。描こうとしているものが違うのだろうと思う。原作はひたすら地獄を見せていた。最底辺で生きるという地獄を主人公の男に見せていた。綾はどんなに美しかろうがそこからは抜け出せない。その最底辺の人の一人でしかない。一方映画はこの世の地獄そのものではなくそこで強く生きる女を見せている。男は「闇」を覗いてしまうのではなく「生」を見るのだ。この場合の綾に寺島しのぶはあまりにもピッタリはまっていた。 【R&A】さん [DVD(邦画)] 6点(2011-11-25 16:01:10) |
13.こういう見ごたえのある邦画はいいですね。上手く感想が出てこないけど、あー映画観たな~って気持ちにさせてくれます。役者さん達も良かったし主人公も良かった。大阪が舞台なのもマルです。 【kenz】さん [DVD(字幕)] 8点(2007-02-11 19:10:07) |
12.寺島しのぶはたしかにいい女優さんだし、今回もほんとにすてきだったと思う。でもなぁ、男の人からすると、どうなんだろ。痛い女な感じがします。私は勢子姉さんを演じた大楠道代にひどく打たれました。映画自体は、もっともっと生臭い感じが欲しかった! |
《改行表示》11.DVDでまた見ましたが、初見は映画館なので環境は映画館にしておきます。いや、正確には映画館ではなく、公会堂なんですけどね。昨年、夏の暑い日に公会堂で見たこの作品は忘れられない。初めて見たときはこの映画をほとんど理解できず、ぼーぜんしたまま帰ったものだが、DVDで再度見直すことにより、少しは理解できたかと思う。 それにしても、この映画にただよう異様な雰囲気は強烈であった。暗くじめじめしたアパートの一室で黙々と臓物を串に突き刺す主人公。そのぐちゅっという音が生々しい・・・。また、その部屋の隣からは人のうめき声が聞こえてきたり、得体の知れない事が日々繰り広げられている。そういった生活の音がリアルに描かれていて凄いと思った。また、大西滝次郎の演技には異論もあるかと思うが、あれは完全に役になりきっていたのではないかと思う。現に公会堂に大西滝次郎が来たとき(本人が来たんですよ!)(監督も!)舞台挨拶で、映画が終わった後も生島のしゃべり方や癖が抜けなくて、もう私生活でも生島みたいな奴になっちゃいました、というような事を言っていたから。他のキャストでは、やっぱり寺島しのぶが良かったですね。すごい存在感です。ただストーリーに関して言うと、後半の心中へと向かうクライマックスがいまいちわけわからん感じで、ただ赤目四十八瀧を紹介しただけの観光映画みたいになってしまったのが残念です。 【ヴレア】さん [映画館(字幕)] 7点(2005-11-11 23:00:52) |
10.凄く陰気くさくてジメジメした映画でした。どいつもこいつもクセ者…というより変人ばっかで感情移入のしようもない(タケシ君人形怖すぎ!)。でもちょっとだけあの瀧に行ってみたい気もしたり。 【とかげ12号】さん [DVD(吹替)] 2点(2005-10-27 21:54:37) |
9.寺島しのぶに3点 はっきり言ってよくわかりませんでした。 【かじちゃんパパ】さん [DVD(字幕)] 4点(2005-07-10 17:34:30) |
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《改行表示》8.勢子さんにあげるための香り袋を綾が手にとるシーンで、次に出る台詞がわかった――「これ、あたしにちょうだい」。思わず苦笑した。いかにも女性らしい言葉、いかにも女性らしい逞しさだと思う。生島の弱さを見透かして心中をやめたのにもかかわらず、他の女への贈り物を取り上げる。そこにちょっとは嫉妬というか、生島に自分を最優先させたい気持ち、支配欲のような気持ちが働いていたと推測する。もしかしたらただ単にほしかっただけなのかもしれないが、それにしても、あの台詞から感じる逞しさとずうずうしさ、そしてちょっと可愛いらしい感じが、いかにも女の強さだと思った。 最終的には兄貴に売られて博多に行くことを選んだ彼女の姿を生島は間抜け面で見送ることしかできない。綾はあんなにどうどうとしてるのに(強いよなぁ、そりゃ刺青入れられても悲鳴あげないわ)。 主人公はとんでもなくだめ人間で、綾の存在でその弱さがいっそう際立った。でも最後に少年の日に追いかけた蝶々を見つけたのは、彼が再び生きる意志を抱く象徴だったのだろうか? 綾に出会うことで極楽の鳥たる蝶々を見つけて、もう一度それを追いかける道を選んだのだろうか。それとも結局、蝶々を捕まえることはできないということだろうか。前者であってほしいと願う。とことん情けない主人公だったが、あんなに強い女性に出会ったなら、さすがに目を覚ましてもいいんじゃないかと思う。頑張って生きてみてもいいんじゃないか? 心中は未遂に終わったんだから。 【no one】さん [DVD(字幕)] 8点(2005-06-13 11:36:01) (良:1票) |
7.正直、期待していた分肩すかしを食らった感は否めない。なんとなく、やろうとしていることがいちいちポイントからずれている、あるいは足りない印象を受けた。生肉にしろ、入れ墨にしろ、もっと思い切りグロく映せばいいのなあと思った。肉のたるんだ娼婦は良かったけど。謎めいた登場人物たちも、いまいちなりきれてない感が拭えずどうも世界に入り込めない。なにより私にとって致命的だったのは主役の俳優さんの演技の下手さ……この人の間の抜けた「はあ!?」「ええっ!?」で何度と無く神経を逆撫でされ現実に引き戻された。味であるとか役柄に合っているとかそういう問題を超えていた。だが寺島しのぶの存在感はすばらしかった。今も思い出すと、この人の白いワンピースと艶っぽい微笑みは鮮明に蘇る。うーん、惜しい作品でした。 【cassandre】さん [DVD(字幕)] 3点(2005-05-27 00:18:15) |
6.なぜ尼崎なのかと問われた男が一言「甲子園に近いから」、そして赤目の食堂で高校野球のアナウンスが余韻を残すように聞こえてから一気にイメージが広がりました。この男は、少年時代に来る日も練習した野球、憧れの甲子園、そういった遠き日の姿、生気ある過去への憧憬とまだ自分にも生きる価値、可能性があるのではないかという生への欲求、それとそれが幻想であらんとする死への欲求(死への欲求は生きている証拠である)、その両者の精神的心中に及んだのではないのか、と。尼の地で生暖かな生を抹殺し、血の通わない物体として生きることを選択することで、必然、臓物に串刺す反復運動はそのシンボルとなります。そうイメージすると、赤目の食堂で死に向かわんとする女を前にし、高校野球のアナウンスが男の心に届くように響いているのは、男の精神的心中が未遂に終わっている証左であって、その後の四十八瀧での男女心中が未遂となることはその時点で確定されており、見守るアパートの住人達はただ未遂の上書きの目撃証人としての地位を与えられ安楽しているように見えました。そして蝶を捕まえ切れなかったというその男に特権たる過去は、現在において衆人の知るところとして復権し、女の死への欲求は鮮やかに生へと転換し、男の卑小ぶりと女の飛翔ぶりを剥き出しにしています。そんなイメージが膨らんだ点においてこの映画を評価したいと思うのです。 【彦馬】さん [DVD(字幕)] 8点(2005-05-10 12:29:47) (良:1票) |
5.見ている自分も逃れたくなってしまうほどの全体を包む重苦しい妖怪屋敷的な雰囲気がありました。拙い演技の主人公を安定感抜群でおどろおどろしいバイプレイヤーが取り囲んでいく。狙ったのかどうかわからないが、主人公のか弱さは表されている。しかし、主人公が心中まで行く気持ちがわからず、どうもしっくりいかない映画ではありました。寺島しのぶに無理やり妖艶な魅力を追うことはもうやめてほしい。串刺し作業の「クチュ、クチュ・・。」という音が耳から離れない・・よ。 【チューン】さん [DVD(字幕)] 5点(2005-04-03 11:42:58) |
4.何事にも中途半端な人間には何も残らない。この映画の主人公の男の未来は真っ暗で、想像すらできない。いや、もしかすると何もないのかもしれない。 【ボビー】さん [DVD(字幕)] 7点(2005-04-01 18:17:37) |
3.主人公の青年はただの負け犬で、自分では「死ぬ為に生きてる」などと呟いてはいるが、実はなんとか生きることの口実をつけようとしてるだけのように見える。もちろん映画はこの男をヒーロー然と描こうとはしない。その事務的な毎日を綴るだけだ。そして彼の前に現れる奇妙な人々もまた、なんら象徴的な意味を帯びてはいず、ただ彼のつまらない日常を通り過ぎていく。この前半は、何というか、臓物を串に刺すそのリズムが妙に心地よいように、ただただ面白い。■そして後半、登場する女は、何というか、まとわりつく「死」を一生懸命振り払って、一生懸命生きていこうとする女だ。なにしろ、彼女と「くりそつ」な兄貴は暴力と死に満ちているし、愛人は「刺しちがえる覚悟」で仕事をしているのだから。■このような男と女の「死」への道行きがはじまる。その齟齬から生じる可笑しさと幻想、対比がうみだす「生」の素晴らしさ。■しかし彼女は悟る。「あんたはあかんな」と呟くとき、彼女はすべてを悟ったのだ。この男が「死」に憧れつつも常に「生」の側におり、自分は常に「死」の側にいるのだということを。いくら懸命に振り払っても「死」は自分につきまとっているのだと。自らの存在が「死」をよびこんでいるのだと。それでも生きていこうとする寺島が素晴らしい。■そして男もまた気づく。自分は死ぬことも生きることもできない負け犬であることを。「死の中だからこその悦楽」も「生」もまたただの幻想に過ぎなかったことを。女が生の証として与えたパンティーはなく、自分が社会不適応者だと告知してある明解さんだけが手元に残る。実は少年時代に知っていたはずなのに。彼は美しい蝶をつかまえることはできない。それは悲しく、そして実に可笑しい。合掌。 【まぶぜたろう】さん 10点(2004-08-22 10:16:54) (良:4票) |
2.大楠道代や内田裕也といったベテランあるいは曲者を揃えたという意味で、近年これほど役者の個性で魅せきった作品も珍しいのではないだろうか。前作「顔」に繋がるような大楠の役どころは、もぅこの人以外には考えられず、体から滲み出てくるようなその圧倒感は、演技という枠を越えている。また内田の“静かな狂気”もまた不変であり、本作の不思議な味わいを増幅させている。然様に、さすが彼らでなければと感じさせるほどの演技力とその存在感は圧倒的だが、しかし彼らと拮抗し、ややもすると霞んでしまわせるほど、生島を演じる新人・大西滝次郎には何か鬼気迫るものが感じられ、将来を予見させるに足りうる演技を我々に披露してくれる。ジメッと湿気を含んだ暗く小さな部屋の中で、ひたすら臓物を串に刺し続ける主人公というのも、過去の映画史を遡っても珍しい役ではあるが、さぞかし荒戸源次郎にとっても期待以上の熱演だったに違いない。隣の部屋から聞こえる喘ぐ声、妖しく蠢く人影、薄暗い廊下に軋む階段、部屋に出入りする様々な人間模様といった、このうらぶれたアパートで描かれていく様々なエピソードが秀逸で、それだけに肝心の赤目四十八瀧を彷徨う道行きのシークエンスが、単にハイキングで道に迷ったカップルにしか見えず、心中する場所としてもとりたてて深い意味を帯びてこないのが惜しくもある。 【ドラえもん】さん 8点(2004-07-21 18:20:25) (良:2票) |
《改行表示》1.人に誘われて見に行きました。 表題の瀧のシーンは印象的な部分もあったけど、もっともっと踏み込んで撮影してもよかったのではないかと思います。 それが、主人公とヒロインの心情を表すように。 個人的には期待していたものとちょっと違いました。 新人の主人公を囲むキャラが、濃すぎたのかなと。映画を見てから、原作を読んでみないと分からないと感じました。 大楠道代の演技力に圧倒されました。一番かっこよかったです。 原作も今読んでいるのですが、確かにいろいろと考えさせられています。 |