1.ブルーレイ上映による解像度の高い画面が、元隊員たちの現在の平穏な暮らしぶりと小奇麗な身なりを色鮮やかに映し出す。
彼らが語る過酷な内容とのギャップや、現在の地形と重なり合うように編集挿入される当時のモノクロ映像との繋ぎが、隔世の感覚をさらに強めている。
442連隊への賞賛の念が窺える『二世部隊』(1951)でも省略されざるを得なかったと思しき、ローマ一番乗りをめぐる差別待遇。人間を殺す事の重み。約60年を経てようやく語られる彼らの言葉の響き、表情の深みに打たれる。
にも拘わらず、その元兵士達の言葉に被ってひっきりなしに感傷を煽る喜多郎の音楽タレ流しはナレーションの声音と併せてあまりに「声高」すぎる。
作り手は、彼らの表情・言葉の重み、強度をまるで信用していない。その複雑なはずの思いに対し、安いセンチメンタリズムで一方的に意味付けし、感傷メロディーで補強したがる。
だから、両国家・組織の棄民政策に対する批評性も大きく欠いている。
「反戦」を標榜していながら、情緒に寄りかかった作品こそいくらでも「非反戦」に逆利用され得る事に対し自戒が足りない。