1.まだ何もアップルの製品を手にしたことがなかった頃、デジタルオーディオプレーヤーを購入するために家電量販店に赴いた。
連続再生時間など機能面に優れた国内メーカーの商品を購入するつもりだったけれど、ふと目にして手に取ったiPodのデザインに虜になり、衝動買いしてしまった。
あれから十年あまり経ち、iPadで上映時間の確認をし、iPhoneで音楽を聴きながら映画館に向かい、映画を見終えて、MacBookでこのレビューを綴っている。
決して根っからの“アップル信者”というわけではないけれど、それでも「彼」が生み出した製品は、自分の日常生活の中で寄り添っている。
この映画の中で描かれる「彼」の功罪を見て、この人物ほど、誰しもが憎しみ、同時に誰しもが憧れた人物はいなかったのではないかと思える。
世界中の誰よりもエゴイスティックに自分自身を信じ、多くの人を傷つけ、多くのものを失いながら、世界に対して「未来」を示し続けた、愚かで、偉大な人。
スティーブ・ジョブズという人はそういう人物だったのだと思う。
この映画は、スティーブ・ジョブズがかつて生み出した3つの製品の発表会の舞台裏のみで描かれる。
それぞれにおいて重要な発表会の開始を目前にして、彼に関わる5人の人物が入れ代わり立ち代わり現れては、彼と口論を繰り返していく。
それはとてもとても奇妙な作劇で、当然ながら現実にこんなことが繰り広げられいた筈はなく、フィクションが大いに盛り込まれていることは明らかだ。
しかし、そのフィクションを多分に孕んだ描写によって描き出されるスティーブ・ジョブズをはじめとする人物たちの存在感は、非常にリアルで説得力に満ちていた。
全編通して展開される会話劇が本当に見事で、映画の開始数分で既に脚本の素晴らしさが際立っていた。
卓越した脚本を基礎として、超一流の演出と演技が緻密に組み合わされて映画が彩られていた。
劇中、ジョブズの盟友スティーブ・ウォズニアックが言う。
「お前には何ができるんだ?」
エンジニアでもなければデザイナーでもないスティーブ・ジョブズ対する非難めいた台詞だが、勿論それを発したウォズニアックは、「何もできない」からこそジョブズが“天才”であることを他の誰よりも知っている。
“何もできない者”が生み出した「功績」。それこそが、スティーブ・ジョブズという人が、憎しみと憧れを、同時に、一身に受けた最たる要因だろう。
敵を作り続けることを厭わない天才の言動は、理解に苦しむ。
でも、そうでもしないと本当に素晴らしいものは生まれないということを、本当は世界中の誰もが知っている。
真似はできない。けれど、その生き方を貫き通した彼の姿は、やはり眩く、涙が溢れた。