10.9.11後のアメリカを扱った作品。少々長く感じられもしましたが、「パリ、テキサス」を思い出すアメリカの青い空、音楽の使い方にヴェンダースらしい個性を感じる作品です。 かつてベトナムで傷つき、今はテロに対し神経過敏になりながらも自分がアメリカを、世界をテロから守っているという信念に基づき行動する男。この男の行動はアメリカそのものを象徴しているかのようです。 終盤、この男が悪い夢にうなされている。その叔父の姿を見つめるラナの「叔父の苦しみをやわらげて下さい。平和をお与えください」という台詞がありました。移民、貧困などのアメリカ国内の問題を絡めながらも、ここに込められたヴェンダースの、今のアメリカと世界平和への思いを感じます。 【とらや】さん [DVD(字幕)] 6点(2011-11-20 19:19:54) |
9.透明感のあるきれいな映像で引き込まれる。見えない恐怖に怯え過ちを犯す人々が空しい。テロに対する是非ではなくその後に残る見境のない憎悪と冷めた現実との対比が呆然とさせる。しかし人事ではないなぁ~。 【カリプソ】さん [DVD(字幕)] 7点(2007-07-12 02:02:40) |
8.60過ぎて耄碌したのか、ヴェンダースも甘ったるいもんを撮るようになったもんだなと。 【永遠】さん [CS・衛星(字幕)] 3点(2006-12-13 20:27:10) |
7.◆うーん、考えさせられました。◆ぼくは、マイケルムーアの番組が好きでよく見るのですが、彼は大局的にアメリカ国家を見ているので、アメリカの抱える社会問題に対して「国家の言い分に沿いつつ、ひねくれた自分の主張を表現する」という、いわばアメリカ国家の土俵に上がって、社会問題を批判しています。◆ところがこの映画は、イスラエルから来た女性、愛国者の男性から見える事象、つまり局地的な視点を中心に話が進んでいきます。◆その視点からは、ロスは飢餓の中心地であり、アラブ人は温和であり、グラウンドゼロは工事現場でしかない。◆アメリカ国家の言い分という色眼鏡をかけずに、全ての事象を淡々と映していきます。僕は特に、「アラブ人=テロリスト」という方程式に疑問を投げかけた点が素晴らしいと思う。あの温和なお兄さん、それからハッサンの生活実態、それを知ることによってその方程式はあっという間に崩れ去る。人の優しさを映すことが、そのまま一つの主張となる点がとてもよかった。◆僕はこのようなマイケルムーアとまったく違う色合いが出せたのも、監督が徹底的にローアングルにこだわったことに理由があるのではないかと思います。目線を人物に置くことで「個人から見たアメリカ国家」というものをうまく映せたのではないかと思います。シンプルですが、重要な映し方ですね。◆いい作品でした。ただ、若干冗長ぎみであることと、主張がいまいち絞れていなかったことから-2点で8点を献上させていただきたい。 【もりたろう】さん [DVD(字幕)] 8点(2006-11-15 09:45:03) |
6.9.11のテロは悲劇であり悪である。とただ単純に言ってしまえば、9.11のテロに歓声をあげていた一般の人たち、つまりは世界の声に耳を塞いでしまうことになるし、何も変わらないんじゃねえかと。 んま~それはさておき映画はというと、自らの価値観や考えを信じて疑わず、そういう目でしか世界を見ることができない叔父はどこか滑稽に見えた。それは今のアメリカを象徴しているように見えたけど、それが監督の意図したものなのかどうかはわからないですね。しかしアメリカとテロに対する監督のメッセージがあるのは間違いないし、それを美しい映像と皮肉ったような表現で描いたこの作品はなかなかいい感じ。 【ばかぽん】さん [DVD(字幕)] 7点(2006-10-12 03:48:14) |
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5.アメリカは自分から傷ついたなんて言わないから、外国人(ヴィム・ヴェンダース)がこのように描くことにさえ、憤りを表明するかもしれない。でも直接言わなくたって、彼らの思いはあらゆるところに染み出ている。私は、アメリカは心配ないと思っていて、それでもこの映画を見られて良かったけど、普段そんな風に考えない人こそ見る価値ある映画じゃないか。メッセージがもっと直截でも良かった。 【伯抄】さん [映画館(字幕)] 7点(2006-02-19 17:49:33) |
4.ヴェンダースにしてはメッセージ色の強い作品。セリフ過多のそのメッセージはヴェンダースがいかにアメリカを愛しているかということの証明でもある。その中で『ミリオンダラー・ホテル』を彷彿させる青みがかった映像がリアルな政治色を排除するかのように美しい虚構性を醸す。さらに、『都市とモードのビデオノート』以降描かれてきた「映像のあり様」がここでも描かれる。ハイテクが作り上げた映像と自らの概念だけで物事を判断し、行動する伯父。一方、ノートパソコンをコミュニケーションツールの一部として利用するものの、何よりもじかに見る、じかに会うということを本能的に重んじる姪。はるかイスラエルからやってきた姪の目的は母の手紙を渡すこと以上に「会う」こと。また、浮浪者の死の謎を解明するよりもまずその屍を親に直接持っていくことを優先する。出会うことで何かが生まれる、出会わなければ何も生まれない、というロードムービーの大原則の意味するものこそがヴェンダースが愛するアメリカに向けたメッセージなのだと思う。 【R&A】さん [映画館(字幕)] 7点(2006-01-26 16:37:26) (良:1票) |
【たま】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-11-06 21:18:28) |
2.事前の宣伝文句からロードムービー3部作のような世界を想像してしまったので、自分の勝手な期待と作品とのギャップをどうしても埋めることができなかった。ヴェンダースにとってはこの映画を撮る必要があったのだろうとは思うけど、それならもっとじっくり取り組むべきテーマじゃないかなぁ。これだとヴェンダースである必要性が感じられない。なーんか、他人事っつーか一方的って言うか、自らを問題の外に置いているような気がして、私には訴えかけて来るものがなかったな。ゴダールの『アワーミュージック』を観た後には、尚更そんな風に思ったス。 【黒猫クロマティ】さん [映画館(字幕)] 5点(2005-11-06 12:25:50) |
1.グラウンド・ゼロから次第にカメラが上昇し、夜になりかけた空を映し出す。その空は、以前では見ることが出来なかったものだ。それを虚空と名づけるには思いが込められ過ぎている。それでも撮る。正しいとかそういう以前に、このシーンを入れなければならないという義務みたいなものが働いている気がした。だがヴェンダースとアメリカという、多くの人を困惑させ幻滅させたであろう組み合わせがこの映画ではもっと接近し、それゆえに離れてしまったような感じもまた、このラストシーンで抱いた。この感覚は矛盾しているようだが、この映画自体アメリカという矛盾で成り立っている事にも気がつく。イスラエルから母の手紙を持ってアメリカに帰った一人の少女と、その伯父(つまり少女の母の兄)――ベトナム戦争の後遺症を引きずりながら、アメリカの理想へと盲進する――との出会い。対話の不可能性を示しながらも、両者の体験を共有してゆくことで新しい何かが生じる。そしてその何かを、まずはあの空に求めてみる。真摯な姿勢だと思う。だが見終わったときは、それだけか、とも思った。そもそも短期間で、しかもビデオで撮るという機動性は、正面から取り組みすぎたこの作品のテーマとは相反しているような気がする。だからといって、しっかりと腰をすえて撮ったところで何がしかの獲得があるかどうかは、わからない。だが、ドイツ生まれのヴェンダースがこのテーマを撮ったのにアメリカの映画監督はまだほとんど、この映画のラストシーンに正面からぶつかっていないようだ。ランド・オブ・プレンティのラストは「始まり」でもある。必見。 【Qfwfq】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-11-05 01:13:40) |