4.昨年、世の好事家たちを唸らせたストップモーションアニメの今作をようやく観ることができた。
近年、ストップモーションアニメの進化が目覚ましい。
撮影技術の進化、3Dプリントをはじめとする造形技術の進化など、技術的な革新はもちろん大きかろうが、何よりも大きな要因は、観客も、作り手も、あらゆる作品に対して、本物の質感を強く求めるようになったことではないかと思う。
CG映像の隆盛に伴い、観客はもはやどんなリアルに見える映像を目の当たりにしても、驚かなくなった。映像上で何が起こったところで、「ああCGか」の一言で済ませてしまう。
言い換えれば、映し出される驚愕の映像がリアルであればあるほど、実際には触れないモノ、質感がないモノだと、無意識レベルで認識してしまっているのだと思う。
当然ながら、そういう感情を抱かせてしまった時点で、そこに観客の熱量は生まれない。観客の熱量を感じられないものに対して、作り手も熱量を注ぐことが出来なくなっている。
そこで再注目されている手段が、原点回帰的な特撮技術だったり、今作のようなストップモーションアニメなのだと思う。
人を形どったものに命を吹き込むというプロセスは、古来より世界中の文化が共通して培ってきたものであり、そこから溢れ出る芸術性と愛着感は、我々一人ひとりのDNAレベルに刷り込まれているのかも知れない。
そうして生み出された世界観とキャラクターが、これまた「物語」そのものの根幹に迫るテーマを紡ぎ出す。
「結末」があるからこそ、物語は美しく、価値が生まれる。
人は、心が弱ると、ついつい必要以上に「終幕」を恐れてしまう。
だが、結末を迎えた物語は、決してそのまま消えてなくなってしまうわけではない。
一つの物語を、また別の者が語り、紡いでいくことで、その価値は幾重にも折り重なり、新たな物語を生んでいく。
それは、「人生」の理とまったく同じだろう。
この世界は、そういうふうにできている。