1.民族のアイデンティティの不安なんて、本当に現在切実なテーマだろうか(と言ってしまってから、こちらの認識不足で傲慢な発言になっているかも知れぬ、という心配がつきまとうのだけど、とにかく言わせて)。たとえば仕事一筋の人間が、会社の倒産で味わうアイデンティティの危機のほうが、現在ではキツいような気がする。ヤクザやカルト宗教の信者など強固な集団に属したがる人が跡を絶たないってことは、アイデンティティの不安はもう十分世の中に瀰漫し、多様化してるってことだろう。そりゃ在日の人たちは税金払ってて選挙権がないとか、もっといろいろ日常生活でも問題はあるだろうし、それを無視する気はないが、なんか問題設定が先走っていて、カメラが後追いしているような気がした。ルーツ探索という設定、AV嬢の故郷への旅、あるいは中華街、あるいは一世の父が一階で眠る二世AV男優の部屋と、アイデンティティのよりどころを最初から方向づけしてしまっている。もちろんそれらを裏切って、あっけらかんとしている彼らの表情も、カメラは捉えているのだけど。現代が踏み込んでいるのは、アイデンティティという故郷を蹴飛ばして、自由を優先する結果生まれた都市の時代だ。その反動の民族主義も勃興しているが、もう歴史はこういう方向に進むしか道はないと思う。なんて力む種類の映画じゃないんだけどね。この作品で一番良かったのは、尾道の昼の盛り場の閑散とした光景、蹴飛ばされた故郷の、老いた親のようなたたずまいが、けっこうジーンときた。