1.よしながふみの原作漫画は全巻愛読している。
大ファンの立場としてまず断言しておきたいことは、この映画化作品は、充分な「満足」を伴う映像化として成功しているということだ。
数多の漫画の映像化作品が目を覆いたくなるような失敗を見せていることに対して、この成功事例は極めて稀なことだと思う。
原作は、決して映像化しやすいタイプの画風ではなく、ビジュアル的な乖離はそりゃあある。しかし、映像化において製作サイドは、原作の世界観、特にテーマ的な部分の再構築においてとても真摯に臨んでいると思う。それが、この漫画の映像化を破綻させなかった最大の要因だと思える。
今作の題材となっている「右衛門佐・綱吉編」は、原作の中でも最も深い愛を描いた物語だ。そして同時に、人間の野望や欲望が登場する総てのキャラクターにおいて渦巻くストーリーでもあり、故に非常に映画として描き出すには難しい題材だったとも言える。
何せ主人公である“男”と“女”が、最初の出会いから数十年後の今際の際に至るまで”逢瀬”を見せないのだから、深く込入った人間の心理をどう紡ぎ出すか、非常に困難を極めた筈だ。
前述の通り、その難しい原作の世界観を極力崩さず真摯に映像化して見せていると思う。
後の主演夫婦をはじめとして、配役された俳優たちはみな見事にそれぞれのキャラクターを体現している。終始決して白けることなく鑑賞し終えることが出来たことは、漫画の映画化として充分な及第点を得ていることを証明している。
一定の満足を得ているからこそ敢えて苦言を呈するとすれば、菅野美穂という女優を起用したことによる「見せ場」をもっとしっかりと用意すべきだった。はっきり言えば、もっと激しい「濡れ場」を映し出すべきだったと思う。
この映画で彼女が演じた徳川綱吉は、色情に溺れることでより一層に哀しさが際立つキャラクターである。
せっかく菅野美穂という“濡れられる”女優を配しているわけだから、もっと思い切った哀しい色情魔ぶりを演じさせてほしかった。
あと、原作とは異なるラストの締め方については、原作ファンとしては違和感を覚えはしたけれど、一つの映画としては納得も出来る。
柳沢吉保を演じる尾野真千子と、御台所を演じた宮藤官九郎がとてもハマっていただけに、彼らが抱え続けた悲しみとそれに伴う衝撃的な顛末を映像で観たかったというのが正直なところだけれど。