10.69回目の終戦記念日に、この映画を観たことには、意味があったと思える。
つくづく思うことは、やはりこの国の人々は、自国での「戦争」のことを知らな過ぎるんではないかということだ。
知らないというよりも、目を背け続けていると言う方が正しいかもしれない。 戦争体験者も、未経験者も、まるで持って生まれた「体質」が無意識にそうさせているように、言及し、追求することを避け続けているように思える。
それは、時間の経過と共に、より一層に“語り継ぐ”ということの重要性が叫ばれている今となってもだ。
体験としての悲劇が語られる場合はまだ多い。しかし、なぜあの戦争が起こったのか、なぜあの戦争が終わったのか。その核心的な部分については、まだまだひた隠しにされている「事実」が多過ぎるように思わざるを得ない。
それが、この映画の主題としても描かれる、日本人の性質に直結するものかどうかということも興味深いし、一つの可能性として描かれる「史実」もとても興味深かった。
昭和天皇とマッカーサー元帥並ぶあまりに有名な一枚の写真。
あの不穏さと互いの所在なさを感じる歴史的な写真の裏に隠された事実は何だったのだろうか。
日本という国にとって、マッカーサーとはどういう人間だったのか。
日本人という民にとって、天皇“裕仁”とはどういう人間だったのか。
この映画で描かれている物語が総て真実だとは思わない。
しかし、この国が守り続けた美徳も、それに伴う愚かさも、その描かれ方は、決して過剰なわけではなく、確かな一側面を描いていると思える。
そういう意味で、この映画の演出、俳優たち演技は、それぞれ真っ当だったと思う。
ストーリーテリングや編集に稚拙さを感じることは禁じ得ない。
でも、多くの人が“タブー”として目を背けがちである事実を、アメリカと日本の人々が供託して追求したことの価値は高いと思う。